『BARAGA-鬼ki』ゆかりのスポット巡り


天寧寺(福島県会津若松市)

 

1868年4月25日(新暦5月17日)に板橋で処刑された近藤局長の遺体は、胴体は東京都三鷹の龍源寺に葬られましたが、京都三条河原に晒されたという首の行方については諸説あります。

その埋葬先の一つと言われているのが、この会津の天寧寺です。
お寺の説明書き(↓)によると、この墓は会津藩主松平容保公が京都守護職に在任中、新選組が多くの功績を挙げた縁で、会津藩が建立したものとのこと。
納められているのは首でなく遺髪とも、遺品とも言われているようです。

   

天寧寺には戊辰戦争で命を落とした会津藩士の慰霊碑や、鶴ヶ城開城後に藩主父子の助命と引き換えに自刃した家老、萱野権兵衛の墓などがあります。
近藤さんのお墓は、お寺のほとんど最奥の山上。
舗装された道がやがて土の道になり、山道になった先にありました。

   

墓の手前には近藤さんの辞世の句を刻んだ石碑(↑)があり、右側には土方さんの戒名を記した慰霊碑が立っています。
この慰霊碑の横に記された説明によると、会津で近藤さんの斬首を知った土方さん容保公に願い出て、ここに墓を建立したとのことです(墓碑の戒名は容保公から賜ったと言われています)。

ともに多摩から京に上り、新選組をつくり、血なまぐさい時代を駆け抜けた二人の碑が、こうして並んでいるのを見ると感慨深いですね。
墓をこの位置に建てたのは、遠く鶴ヶ城を望む場所(↓)だからなのかもしれません。


*『BARAGA-鬼ki』ポイント
劇中で、土方さん近藤さんの死を知るのは函館でのこと。

お紋「なんだい? 近藤に続いて沖田も逝っちまったのかい」
土方「近藤に続いてって…どういう事だ?」
お紋「おや、知らなかったのかい? 近藤が処刑されたって…」
土方「何!」
お紋「京都の三条河原で、さらし首になってたそうだよ」

志半ばで逝った近藤さんの思いを受け継ぎ、侍として散ることを選んだ土方さんの戦いが始まります。