『BARAGA-鬼ki』ゆかりのスポット巡り


御陵衛士屯所跡(京都府京都市東山区)

 

池田屋事件禁門(蛤御門)の変(京都を追放されていた長州藩士と、御所を警護する薩摩・会津藩士の衝突)の後、将軍家茂の上洛要請と隊士の募集のため、近藤さんは隊士数人と江戸に下ります。
その際、面会したのが常陸国(茨城県)志筑出身の伊東甲子太郎さんでした。

伊東さん鈴木家の長男として生まれ、北辰一刀流の伊東門下となり、後に道場を継いで伊東を名乗りました。そのため、ともに上洛した実弟は鈴木三木三郎という名になっています。

新選組の参謀として迎えられたものの、尊王攘夷派の伊東さんは、勤王佐幕派の新選組主流と思想的に対立することが多く、上洛から1年足らずで近藤さんに分離を申し入れます。
その際口実となったのが、「孝明天皇御陵衛士」の任でした。

上洛時の伊東一派は7人。分離時は伊東さんを除き14人で、さらに10人が続いた(後発組は新選組に粛清・放逐された)というのですから、伊東さんを慕う隊士が多かったことがわかります。
14人の中には、もちろん藤堂平助くん・斎藤一さんも含まれていました。

一行は五条大橋東詰の長円寺を経て、東山の高台寺月真院(上)に本拠を置き、高台寺党と呼ばれるようになります。

   

月真院の門内(上左)と高台寺の門に続く台所坂(上右)。

高台寺
に移ってから、油小路伊東さんが謀殺され、御陵衛士が事実上解散となるまではわずか半年足らずでした。
残党の一部は伏見街道で近藤さんを狙撃し、さらに鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩の指揮下で新選組と戦ったそうです。

下は高台寺庫裡(左)と、方丈から眺めた開山堂(右)。
その奥には豊臣秀吉の妻、ねねが眠る霊屋(おたまや)があります。
徳川の時代の幕開けを目撃したこの寺が、徳川の終焉にもかかわっていたことには、不思議な感慨を覚えます。

  

*『BARAGA-鬼ki』ポイント
劇中では、伊東さんと言えば、彼に心酔していた藤堂平助くんがすぐに浮かびます。
子犬のように尻尾を振りながらうれしそうに後をついて回っていた平助くんは、新選組のメンバーにとっても大切な仲間。
二幕冒頭で御陵衛士として離隊する平助くんを、沖田くんと永倉さんが止めに行ったシーンもそれを表していました。

劇中ではかなりわかりやすい悪役として描かれていますが、短い期間にあれだけの人間を惹き付けた伊東さんには、人間的魅力があったのでしょう。
色白で面長、温和にして知的な性格……という当時の描写は、伊東さんを演じた木村啓介さんのイメージに近いですね。