西光寺(東京都調布市)
鳥羽・伏見での敗戦後、江戸に戻った新選組は、上野の寛永寺で謹慎中の前将軍の警護に当たりました。
新政府との和平を目指す勝海舟は、主戦派の新選組を江戸から遠ざけるため、甲府城に籠城して新政府軍の進軍を止めるよう命を下します。
「新選組」の名を「甲陽鎮撫隊」と改め、近藤さんは大久保、土方さんは内藤の姓を徳川家から賜って、甲州街道を甲府に向け出発しました。
時に1868年3月。
甲州街道沿いには近藤さんの故郷、調布があります。
鳥羽・伏見の戦いで敗れたとは言え、故郷を離れてからわずか5年で幕臣となった近藤さんは、地元で熱烈に歓迎されました。
宿泊はしなかったものの(府中まで進んで宿泊した)、この西光寺(下)で休息を取り、少し離れた場所にある氏神、上石原若宮八幡宮に向かって戦勝を祈願したそうです。
西光寺には現在、没後130年を記念して立てられた近藤さんの座像(上)があります。
下は、境内にある仁王門。
18世紀初頭の建設なので、当然、甲陽鎮撫隊の隊士たちも目にしたことでしょう。
近藤さんの座像の横にある常夜燈も年代の古いもの。
ほかに西南戦争に従軍した地元出身の人たちの招魂碑も建立されています。
下は、西光寺から近藤さんが遥拝した上石原若宮八幡宮。
近藤さんの出身地である上石原村の鎮守の神様です。
苔むした趣のある風景は、「ちょうふ八景」にも選ばれています。
*『BARAGA-鬼ki』ポイント
この甲陽鎮撫隊のエピソードは、「BARAGA-鬼ki」にはまったく登場しません。
ただ、流山で近藤さんと土方さんが名乗る姓は、この鎮撫隊を率いる際に賜ったものです。
近藤さんは大久保剛から、さらに大久保大和と改名。
土方さんは内藤隼人と名乗っていました。