日野宿本陣(東京都日野市)
JR日野駅から少し歩いたところにある日野宿本陣は、土方歳三の姉、のぶが嫁いだ佐藤彦五郎の邸でした。のぶと歳三は非常に仲が良く、その縁で歳三もこの邸をよく訪れたそうです。
佐藤彦五郎は日野の名主でしたが、日野宿の大火事で自宅が全焼した際に祖母を斬り殺され、自衛の必要を強く感じました。
そのため、すでに井上松五郎・源三郎が入門していた天然理心流に入門、自宅の門の一角に道場を築き、前庭で稽古を行ったのです。
その際、江戸の試衛館道場から出稽古にやってきたのが、近藤勇、沖田総司、山南敬介といった面々。
後の新選組メンバーと土方さんの出会いは、この佐藤家だったと思われます。
佐藤家の玄関の間(上左)。10畳ほどの広さですが、ここでは土方さんがよく寝転がって昼寝をしたとか。
額の「乃武乃文」は「文武両道」を表す言葉で、前述の火事の後、この邸が再建された際に贈られたものだそうです。
玄関の式台(上右)。玄関の間同様に正式な客を迎える正面玄関なわけですが、沖田くんが相撲の四股踏んで彦五郎さんに怒られたなどのエピソードが残っているそうです。
自由すぎるよ、新選組……。
旧幕府軍と官軍が長い戦いを繰り広げた戊辰戦争の、最終決戦は北海道、函館の地で行われました。
土方さんは5月11日に戦死しますが、その数日前、長く小姓を務めてきた市村鉄之助に自分の写真と手紙を託し、この佐藤家に届けるよう命じます。
まだ年若い鉄之助を逃がすための方便だったとも言われますが、鉄之助は官軍の包囲を潜り抜け、3カ月をかけて佐藤家に辿りつきました。
このとき届けられたのが、あの有名な洋装の土方さんの写真です。
佐藤彦五郎はすでに賊軍となったこの新選組隊士を、2年にわたってかくまいました。その間、鉄之助が過ごしたのが、玄関に向かって右端にあるこの部屋(上左)と言われています。
佐藤家を出た後、鉄之助は郷里の岐阜、大垣に帰ったそうです。
上右は日野宿本陣の門の脇にある天然理心流佐藤道場跡の碑。
ここで稽古に励んだ若者たちが京都に向かい、函館の地で土方さんが亡くなるまでの年月は、わずか6年でした。
*『BARAGA-鬼ki』ポイント
お嬢は、劇中で市村鉄之助のポジションを務めています。
土方さんは函館の五稜郭で、「その写真を多摩にいる佐藤彦五郎って人に届けてほしい」「俺の親戚筋だ。名前を言えばわかる」と、彼女に写真を渡しました。
この後のお嬢との会話は号泣もの。
「生きろ! 頼む! 生きてくれ!」
「俺たちが士道をまっとうした、本物の侍……その証として! そして俺の代わりとして、生きてくれ!」
そして、最後の鬼気迫る戦闘へと、土方さんは赴いて行くのです……。