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水無月の宴 ( 2 / 2 )

 



ふわりと闇の中に浮かぶ光。

目で行方を追うと、友雅はつぶやいた。

「蛍……か……」

宴席を離れ、土御門殿の庭園をあてもなく歩いている。

誰かが戯れに放ったらしい蛍は、広大な池の畔で明滅していた。

「……友雅さん」

「……まるで君のようだね、神子殿」

「え?」

母屋のほうからやってきたあかねは、何のことかわからずに立ち止まる。

友雅は蝙蝠扇を軽く開き、蛍の方向を指し示した。

「あ! 蛍……?」

「……私に何か用かい?」

耳元で囁くように言われて、あかねは飛び上がった。




「あ、あの、お誕生日おめでとうございます、友雅さん。
お誕生日会っていうよりお別れ会みたいになっちゃってすみませんでした。
贈り物も準備できなかったし、いろいろ手が回らなくて……」

赤くなって謝るあかねに、友雅は微笑みかけた。

「そんなことを気にしていたのかい。
私のために宴を開こうとしてくれた、その優しい心根が一番うれしいのだよ」

「でも……」

と口を開きかけて、あかねは一瞬ためらった。

「神子殿?」

「……私……友雅さんに全然恩返しできてなくて……」

「恩返し?」

扇をパチンと閉じると、友雅は天を仰ぐ。

「……心当たりがないのだが。私は君に何かしたのかな?」




あかねの顔が一段と赤くなった。

「あ、あの、わ、私が鷹通さんのことで悩んでいた時、直接会うように言ってくれたでしょう? 
あの時、友雅さんが背中を押してくれなければ、私、自分の気持ちを伝えられなかったから……」

言いながら恥ずかしくなったのか、語尾が小さく消えていく。

うつむいたうなじと細い肩は、ひどく頼りなげで可憐だった。

「…………なるほど」

友雅は額に指をあて、ふうっと長いため息をもらした。




「友雅さん……?」

「神子殿……いや、あかね殿。
君のその清らかで純粋な性質は神子に不可欠なものなのだろうがね」

扇を腰帯に手挟み、あかねの手を両手で包み込む。

あかねは何のことかわからず、目をパチパチと瞬かせた。

「君の神子の役目は昨日で終わり、私の八葉としての役目も同じく終わった。
私たちはもう何の使命も義務も負っていない」

「……はい……?」

「つまり君は、八葉でもない危険な男と二人きりで暗闇にいるということになるのだよ。今」

「え?!」




あかねが身を引こうとするよりも早く、友雅は華奢な身体を抱き寄せた。

「と、友雅さんっ!!」

「君はもう少し警戒心というものを身につけなければ」

顎をとらえられ、上を向かされてあかねはパニックを起こす。

「友雅さん!! やめて!!」

「君が悪い」

「おやめください!! 友雅殿!!」

いつの間に現れたのか、息を切らせた鷹通が友雅の腕を押さえていた。




「鷹通さん……!」

「駆けつけるのが遅いね、鷹通」

「お戯れにしては質(たち)が悪すぎます! 神子殿をお離しください」

友雅が腕を緩めると、あかねは鷹通の胸の中に飛び込んだ。

すがりつく背中を見ながら友雅は口を開く。

「君は魅力的な女性なのだから、言動にはもう少し気をつけたほうがいい。
神子殿」

「そのようなこと、口でおっしゃれば済むでしょう!」

鷹通がムキになって言った。

「実際に体験したほうが身にしみるだろう?」

「!!」




鷹通の腕の中から、あかねがおそるおそる友雅を見上げた。

「悪かったね、神子殿。だが、君は無防備すぎる。
自由に飛んでいるのが一番美しいとわかっていても、籠に捕らえて自分だけのものにしたがる輩は多いのだよ」

穏やかな眼差しで、友雅は語りかけた。

しばらく意味を取りかねていたあかねは、はっと息をのむ。

「……ほ……たる?」

「それほどに君は人を惹き付ける。覚えておきたまえ」

「友雅さん……」

「友雅殿」




しばし沈黙が落ちた。

一つ咳払いをすると、「それに……」と、友雅は言葉を継ぐ。

「君が誰かと二人きりになる度、物陰に潜んでハラハラする男の身にもなってやってくれまいか」

「……え?!」

「と、友雅殿っ!!」

「でなければ、あんなふうには駆けつけられまい? 違うかね、鷹通」

友雅の言葉に、鷹通はグッと詰まって赤くなった。

その顔を驚いて見つめ、あかねは今度こそ心から反省する。

「……ごめんなさい、鷹通さん」

「いえ、神子殿が謝られることでは……」




「お~い、友雅~! どこ行った~? 藤姫が探してるぞ!」

母屋のほうから、イノリの声が聞こえてきた。

「今戻るよ、イノリ」

よく通る声で応えると、友雅は二人を置いて歩きだす。




「あれ? あかねや鷹通は一緒じゃないのか?」

庭の暗がりから現れた友雅を見て、イノリが尋ねた。

「もう少し二人で話すことがあるようだよ」

「そっか。……あのさ、友雅」

イノリが真剣な瞳で友雅の顔を覗き込んだ。

「何だい?」

「来年も、俺がちゃんと『誕生日会』っていうのをやってやるからな。
あんまり寂しがるなよ」

「!!」

友雅はイノリの顔を凝視し、ぷっと吹き出す。




「なんで笑うんだよ!」

「いや、やはりイノリは男前だと思ってね」

「はあ?! 何だよ、それ!」

食い下がるイノリを笑顔でいなしながら、友雅は皆の待つ母屋へゆっくりと歩みを進めた。




アクラムとの死闘の翌日。

6月11日の夜は、静かに穏やかに過ぎていった。









 

 
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