語られざる想い ( 2 / 2 )
「……陛下もおつらいだろうに、実の子に対して」
羽張彦がつぶやくと、一ノ姫は顔を上げて彼を見た。
「……母様が二ノ姫を遠ざけているのは……外聞を恐れてだけではないと思うの」
「姫、それ以上は」
柊が口を挟むと、一ノ姫は「いいのよ」というように微笑んだ。
「二ノ姫が生まれたとき、母様はあの子が『黄金の光差す雲間より舞い降りつる龍神の神子』ではないかと思ったの。
中つ国が滅びに向かうとき、現れるという伝承の神子だと」
「それは……既定伝承に記されていることなのか?」
「ええ」
羽張彦の視線を受けて、柊がうなずいた。
「『中つ国の女王、龍神に祈れども異国の剣にかかりて息絶ゆる
宮は陥ち、国傾きて、龍黙せり』……
その後、人々の祈りに応えて現れるのが龍神の神子です」
「ひでえ伝承だな」
「飽くまで伝承ですよ、羽張彦」
「けれど母様は、二ノ姫がその滅びをもたらすのではないかと恐れていらっしゃるの。
命を惜しんでではなく、中つ国の王として……」
「………………」
突然、一ノ姫が羽張彦と柊の手を取った。
「……だから、羽張彦、柊、私たちがまだ目覚めていないあの龍を鎮めることができれば、この国は救われ、二ノ姫は『龍神の神子』とならずに済むわ。
あの子が舞い降りるのはこの国の悲劇の後。
その時が来るのを何としても止めなければ」
「わかっている、一ノ姫」
「ええ、この国を既定伝承から解き放ちましょう」
三人の手が重ねられ、お互いの瞳を無言で見つめあった。
命を賭しても……という一言は、あえて飲み込んだまま。
暖かな風が、一ノ姫の髪をさらさらと揺らした。
* * *
「柊? どうしたの?」
熊野の神邑から天鳥船に向かう道で、足を止めた柊に千尋が問いかけた。
「お心を煩わせて申し訳ございません、我が君。ここから海が見えましたので……」
「海……? あ、本当だ……!」
熊野川の先に、暖かな色の海が広がっていた。
白い波が、近くの浜辺に打ち寄せている。
「きれい……! 波打ち際がキラキラ光ってるね」
「豊かな命を育む、神聖な海です、我が君」
(……けれど、もし)
目を細めて波を眺める柊に、千尋は尋ねた。
「柊は前にもここに来たことがあるの?」
「……ええ。それはそれは、遠い昔に……」
微かに苦い笑いが頬に浮かぶ。
(もし、それが叶わなかったときには……)
初秋の風が、短く切りそろえた千尋の髪をさらさらと揺らした。
柊はその眩しさに再度目を細める。
対照的なまでに異なる容姿。
しかし強い意志の宿る瞳は、驚くほど姉の姫によく似ていた。
(あなたの血の導くままに、どうか二ノ姫を守ってほしい)
「あの天盤盾に上れたら、もっとよく見えるのにね」
千尋がくるりと振り返って遙かな高みを指差す。
「……!」
思わず息を呑んだ柊に、千尋が驚いた。
「え? 私、何か変なこと言った?」
「……いえ。今は、狭井君があの地への立ち入りを禁じていらっしゃいますから」
無意識に、手が眼帯へと伸びる。
あの日流れた血と涙。
そして、耳から離れない凛とした声。
(だからあなたは生き延びて、柊。絶対に生き延びて)
「柊? どうしたの? 目が痛むの?」
「いいえ、我が君」
最後に、一度だけ天盤盾に視線を投げると、柊はいつものように微笑んだ。
「風が少し強くなってまいりました。まだ先は長い。そろそろ歩き始めましょう」
「うん……。本当に大丈夫?」
「我が君、私はお誓い申し上げたはずです。
あなたの歩まれる道を、私がともに歩いて行ける限り、
あなたのためにこの身を捧げると……」
熊野川のほとりを離れ、再び濃い森影の中へ。
おのれのいない未来へと向かう道に、柊は静かに、迷いなく足を踏み入れていった。
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