輝きの草原 ( 2 / 2 )
サラサラ、サラサラと艶やかな細い髪が指からこぼれおちる。
軽く震える指先は、しなやか過ぎる髪をなかなか捉えられなかった。
「……適当でかまわぬ」
「は、はい」
クラヴィスの後ろで髪を結ぼうと、さっきからアンジェリークは四苦八苦していた。
あまり深く考えずに申し出たが、考えてみれば、こうしてクラヴィスに触れるのはほとんど初めてのこと。
高鳴る胸の鼓動が、作業をいっこうに捗らせてくれない。
真っ赤になった顔を見られないのだけが救いだった。
(は、早くしないと変だって思われちゃう)
アンジェリークが本格的に焦り始めたそのとき。
雲の加減か、陽光の角度が変わったのか、ちょうどクラヴィスの座っている場所に、木漏れ日が射し込んだ。
「!」
端正な横顔を、漆黒の髪を、光の粒子がきらきらと照らしだす。
風のリズムに合わせて、まるで光と闇が遊び戯れているようだった。
美しい紫水晶の瞳と、重さを手放した軽やかに揺れる黒髪。
「……どうした」
急に手を止めたアンジェリークに、クラヴィスが声を掛ける。
「……私……失礼なことを申し上げました」
「……?」
キュッと、ようやく落ち着いた指で組み紐を結び終える。
「クラヴィス様には……こんなに太陽の光がお似合いになるのに。もっと早く、昼間のお散歩にお誘いすればよかった」
肩越しに振りかえり、アンジェリークの言葉の意味を悟ると、クラヴィスは目を伏せて微笑した。
「……光が似合うなど、あの者が聞いたら火を噴いて怒るだろう。私には、木漏れ日程度が限界だ……」
「そんなことないです! 陽の光の中でも、まばゆいくらいに輝いて…!!」
必死に抗弁するアンジェリークを、軽く手で制す。
「……忘れたのか? おまえは目がくらんでいるのだ……」
「でも……」
クラヴィスは、組み紐に添えられていたアンジェリークの手を取り、そっと口づけた。
「……私にとって、幸せなことに、な……」
「!!」
「……さあ、食事を始めるぞ……」
全身を真っ赤に染めた少女は、無言のままギクシャクと歩き、闇の守護聖の向かいに腰を下ろしたのだった。
* * *
陽に透ける切り子細工のガラス器に、魔法瓶からスープが注がれる。
「……ヴィシソワーズか……」
「これが今日のお料理で一番手がかかっているんです。裏ごしに裏ごしを重ねて、サラッサラにしました!」
「……私には作り方はよくわからぬが……手間をかけさせたな……」
「クラヴィス様に召し上がっていただけるんですもの、うれしくてうれしくて。いつでも作りますから、おっしゃってください!」
頬を上気させ、満面の笑顔で言われて、クラヴィスは思わず微笑みを浮かべた。
気づけば今日は、もう何度もこうして笑っている。
この少女といれば、「不気味、暗い」を返上する日も来るのかもしれないと、他人事のようにクラヴィスは思った。
サラダ、サンドイッチ、フルーツ……。
忙しい女王試験の合間に、ロザリアまで引っ張り出して準備した食事の数々が供される。
「クラヴィス様はあまりたくさんお食べになられませんよね。ディア様のお食事会でもほとんど手をつけられないような……」
「……あれは出席者のせいだ……。目を爛々と輝かせて演説を始める者がいるからな……」
「ディア様、少し寂しそうですよ」
ふうっと大きくため息をつくと、「……今度は耳栓でもしていこう」と、答える。
闇の守護聖最大の譲歩。
アンジェリークはニッコリ笑うと、ふと気づいたように尋ねた。
「普段はお一人で食事をされるんですか?」
「……そうだな。ずいぶん長いこと……そうだった……。リュミエールが来てから、食卓をともにすることも増えたが……」
そう言って、視線を遠くに投げる。
「何か?」
「……最近はやたらとオリヴィエがやってくる。ルヴァも……来るな」
「にぎやかですね!」
「……そうだな。それぞれやり方は異なるが……しゃべりっぱなしだ」
アンジェリークは、思わずプッと吹き出した。
「す、すみません。ちょっとウケちゃいました」
「……不思議なことだ。昔なら……そのような環境は耐えられなかっただろう……。今は、皆が私を訪ね、さまざまな話をしていくのが……楽しくさえある……」
アンジェリークは、黙ってニコニコと笑っている。
その頬に、クラヴィスは手を伸ばして触れた。
「これは……おまえの仕業か?」
「いいえ、クラヴィス様はほかの人を受け入れる場所を、ちゃんと持っていらしたんですよ。今まで、リュミエール様以外の方が入ろうとしなかっただけで」
「……いや……リュミエールでさえどうにかしがみついているほどに狭い場所だったのだ。……それをこれほど広げたのは……おまえだろう」
「クラヴィス様……」
「よしっ! いいムード! そのままキスしちゃえ!!」
双眼鏡を覗いたまま、オリヴィエが腕を振り上げる。
「オ、オリヴィエ、もうやめましょう」
「おだまり、リュミちゃん! あ、手を離しちゃった。あ~ん、残念!!」
横では、ルヴァがにこにこしながらうなずいている。
「二人はうまくいっているようですねえ~、うんうん」
「ルヴァ様……」
夢、水、地の三人の守護聖は、肉眼でどうにか二人の様子が見える、森の中に潜んでいた。
「しかし、クラヴィスはああ見えてちゃんと女性をリードするんですねえ。私やジュリアスではなかなかそうはいきません」
ルヴァが感心したように口を開く。
「っていうか、オスカーと私くらいでしょ、ちゃんと段取りできるのは。あ、リュミちゃんも意外としっかりリードしそうだけどね」
「ええ、人並みには……。そ、そうではありません、そういう問題ではなく、こんなはしたない真似はもうやめましょうと……」
「そうですねえ。クラヴィスがちゃんとデートできるか心配してついてきたのに、私たちが逆に学ぶはめになってしまいそうですから」
ルヴァの言葉に、リュミエールは少し頬を染め、コホンと咳払いした。
「ねえ~、もうちょっとだけ、お勉強続けない?」
「オリヴィエ……!」
「さあさあ、私の館でお茶でもいかがですか? あまり外にいると染みができちゃいますよ」
「キャーッ」と派手な悲鳴を上げてオリヴィエが一目散に退却を始めた。
後を追いながら、ルヴァはリュミエールに話しかける。
「……長い付き合いですが、あんなに柔らかく微笑むクラヴィスを見たのは初めてですよ。あなたは、そういう笑顔があることをとうにご存じだったのですね」
リュミエールは穏やかな笑みを浮かべると答えた。
「……そう……ですね。けれど、アンジェリークに向ける微笑みはまた格別でしょう。あんなに幸せそうなお顔は初めて拝見しました」
「あなたや私も、恋をするとそうなるんでしょうかねえ」
「そうですね」
先頭を歩いていたオリヴィエが、突然くるっと振り返る。
「クラヴィスは普段笑わないからインパクトがあるのよ。あんたたちはいっつも笑ってるからねえ~……。そうだな、嫉妬に狂ってる顔なんてのが見てみたいかな」
リュミエールはにっこり笑った。
「お見せしましょうか?」
ルヴァもにっこり笑う。
「挑戦するのもいいかもしれませんねえ」
「あ~、前言撤回、ちょっと考えさせてちょうだい。なんか怖いから。さ、急ぐわよ~!」
三人の守護聖の一団は、にぎやかに草原を離れていった。
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