神護寺騒動 ( 1 / 4 )
京の北西に位置する神護寺。
現在ですら、京都駅からバスで50分プラス徒歩20分ほどかかる山間の寺を、花梨は幸鷹、イサトと共に訪れていた。
目的は当然怨霊退治。
苦戦を強いられたものの、ようやく浄化に成功したとき、すでに空には一番星が輝いていた。
「うわあ、もう暗くなってきちゃいましたね!」
戦いに夢中だった花梨が、我にかえって声を上げる。
「こりゃあすぐに暮れちまうな」
イサトも同様に空を見上げた。
「……どうやら、四条の邸への帰還はあきらめたほうがよさそうですね」
「「え?」」
幸鷹の言葉に二人そろって振り向くと、すでに彼は背を向けて本堂のほうに歩き出していた。
「あきらめるって、まさか野宿?」
「んなわけないだろ。ここは寺なんだから、一晩泊まらせてくれるよう頼むんだと思うぜ」
僧兵見習いのイサトがそう言うのだから、寺にはそういう機能もあるのだろう。
花梨はコクンと大きくうなずいた。
寺と里をつなぐのは、街灯ひとつない急峻な山道と長い長い石段。
月の光を頼りに歩くにも限界がある。
「オレだけなら何とか洛中まで帰れるけど、花梨を連れてはちょっとな」
「ええ?! こんな暗い中でも歩けるの? すごいね、イサトくん」
「おう! じゃあ、ひとっ走り行って、四条の邸と幸鷹の邸に『帰れない』って知らせてやるか」
「イサト」
いつの間にか戻ってきた幸鷹が、今にも走り出しそうなイサトをとどめた。
「君も今夜はこちらに泊めていただきなさい。怨霊だけでなく、追いはぎの類も出没すると聞きます。
一人だけで帰すわけにはいきませんよ」
「ち、馬鹿にすんなよ、幸鷹! このくらいの山道」
「それに、神子殿を今夜お守りする役は私一人には荷が重すぎます。君を頼らせてもらえませんか?」
「……!!」
しばし無言になった後、足元の石を蹴りながら
「…そういうことなら、しょうがねえな」
と、イサトがつぶやく。
(わあ、お見事!)
心の中で花梨はそう叫んでいた。
* * *
「ごめんね、イサトくん。つき合わせちゃって」
寺の井戸端で、桶の水で手足や顔を洗いながら花梨が言う。
そばで灯りをかざしつつ、顔だけそっぽを向いているのはイサト。
「かまわねえよ。一人にするのは心配だしな」
「今度は私が灯りを持つから、イサトくん、顔を洗ったら?」
桶の水をザバッとあけると、花梨が問い掛けた。
「お、オレは後で一人で来るからいい!」
「そうなの? あれ、イサトくん、顔赤い?」
「灯りが映ってるだけだ! 全部終わったんならちゃんと拭けよ、手とか髪とか…」
花梨の水に濡れた伸びやかな手足や、雫を滴らせた髪が思いのほか「女」を感じさせて、勝手に意識して勝手に赤くなって勝手に自己嫌悪しているイサトだった。
「ああ、神子殿。少しはさっぱりされましたか?」
寺から与えられた広間に入っていくと、先にくつろいでいた幸鷹が声を掛けた。
人数分の膳の上に、精進料理が並べられている。
「うわあ、おいしそうですね!」
「へえ、結構凝ったもの作るんだな」
早速二人も膳の前に座る。
「由緒ある名刹ですから、こうした面も行き届いているのでしょう。
まさかこのようなところで般若湯まで……イサト!!」
「ん〜? 何か変な味?」
「それは酒です! 飲んでしまったのですか?!」
「ああ、酒かあ。そんなに大して飲んでねえよ」
「イサトくん、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫! さ、とっとと食おうぜ! さめちまうぞ」
うれしそうにパクパクと料理を平らげる様子を見て、幸鷹と花梨はほっと息をついた。
が、しばらく後。
「イサトくん?」
急に動きが止まったイサトの顔を花梨が覗き込むと、幸せそうな笑顔を浮かべたままコテンと横に倒れてしまう。
「イサトくん!」
「……やはり、酒が回っていたようですね」
幸鷹は素早く首のところで脈を取り、顔色や体温を確認した。
「大丈夫。昏倒しているわけではありません。飲んで眠くなっただけでしょう」
「よかった〜。ええと、幸鷹さん、お布団…じゃなくて、茵(しとね)は」
「私たちの分は隣りの部屋に延べてあります。少し失礼いたしますね」
小柄なイサトをひょいと抱き上げると、そのまま襖の向こうに消えてしまう。
一人残された花梨は、見慣れた寝殿造りとは異なる寺の建物の中を、キョロキョロと見回した。
三人でいるときには気にならなかったが、仏像や仏具が置かれた立派な寺の広間である。
「……お寺……って、やっぱりちょっとムード違う…よね……」
仏像の顔が、紙燭の灯にぼうっと浮かび上がっている。
「な……なんか……」
「神子殿」
ひいっと小さく悲鳴を上げて飛び上がったのを見て、幸鷹は刀に手を掛けた。
「何か異状が?!」
「ち、違います! 驚いただけです!!」
「……そうですか」
金属音を響かせて刀を鞘に戻すと、幸鷹は身をかがめ、広間の膳や瓶子を片付け始めた。
あわてて花梨も手伝う。
ひと通り終わると、幸鷹は花梨の前に居住まいを正して座った。
「もう夜も遅いですから、膳は朝になってから厨に運びましょう。
神子殿の茵はその几帳の向こうに延べてあります。身支度をして、そろそろお寝みください。
明日は早めに動くことになりますから」
「は、はい。あの、幸鷹さんは……」
「私はイサトと共に隣室に控えます。
……イサトはまあ、必要な時には起こすことにして、
何かありましたら声をおかけください。すぐに参上いたします」
「…………」
花梨の無言を不安と受け取ったのか、幸鷹は安心させるように微笑む。
「頼忠には劣るかもしれませんが、八葉として神子殿をしっかりとお守りいたします。
どうかお任せください」
「……はい……」
そのままうつむいてしまった花梨を残して、幸鷹は立ち上がった。
隣室に向かおうとして、着物が引っ張られるのに気付く。
「…?」
よく見ると、花梨が袍の裾を握っていた。
「……神子殿? もしかしてお寒いのですか? でしたらこれを」
幸鷹が袍を脱ごうとすると、花梨が大きく頭を左右に振る。
「?? どうされたのです??」
「……………怖い」
「はい?」
「……お寺で一人寝るのなんて、怖いです……」
「……!!」
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