日だまり

 

うたたね。

京邸の縁側の日向にころんと寝転んだお前は、無防備な寝顔をさらしていた。

「……しょうがねえなあ」

美白とか騒いでなかったか? とつぶやきながら、部屋の衣紋掛けにあった薄物を着せかける。

「……う……ん」

気配を察して、軽くむずかるように唸った後、お前は

「……ありがと……譲くん……」

と、目を閉じたまま微笑んだ。

しばらくして、また寝息が聞こえ出す。




「…………」

……そうだ。当然だ……。

俺は、衣を掛けるために伸ばしていた腕を、ようやく下ろした。

これが当然の結果だ。

三年半もの不在……。

望美や譲にとっては半年程度だったようだが、それでも物心ついてからずっと、一週間と離れていたことはなかったのだ。

こんなに過酷な世界で、ほかに頼る者もない日々。

お前にとって、譲が一番重要な存在になるのは当たり前のことだ。




「……………」

そう思いながらも、重苦しいため息が洩れてしまう。

目の前に広がる、陽光に輝く長い髪。

引っ張らないよう気をつけながら、そっと指に巻いてみた。

懐かしい、お前の感触。




元の世界にいたころは、譲が遠慮がちだったこともあって、望美にとって一番親しく、頼りになる存在は俺だったはずだ。

毎日の出来事、ささいな悩み、クラスや勉強に関する噂や愚痴……。

何でも俺に打ち明けて、呆れたり、たしなめたり、スルーしてもまったくメゲずに、朗らかに、表情豊かに、小鳥がさえずるようにいつも言葉を紡いで いた。

「将臣くん、あのね」

「ちょっと、真剣に聞いてよ」

「もう、ひどいんだから!」

「そう思わない? 譲くん!」




「……そうですね」

突然話を振られて、戸惑いながらも微笑む……。

譲はいつもそんな風だった。

俺と望美の後ろを少し遅れて歩きながら、望美が振り向くたび、宝物でももらったように笑う。

俺は……。




「……先輩、寝ちゃったのか?」

小さく囁かれて、はっと我に返った。

指に巻いた髪をあわてて離したが、多分、しっかり見られただろう。

譲は盆に載せてきた茶碗の一つを、俺に差し出す。

「先輩の分は後で温め直すから、兄さんだけでも飲めよ」

「……桜?」

「桜湯。こっちじゃお茶はそうそう飲めないから、こういうのストックしてるんだ」

塩漬けの桜が、お湯の中で柔らかく花開いていた。




「お前、本当にマメだな」

茶碗をあおると、湯気とともに春の香りが立ち上ってくる。

「おばあさまが作ってたから。子供のころ、ときどき飲ませてくれただろ」

そうだっけか、と応えると、譲が小さくため息をついた。

縁側の日だまりの中、小さな声で会話が交わされる。

傍らでぐっすり眠る望美に、起きる気配はまったくない。

「……たく、夏休みの小学生みたいに寝やがって」

呆れ半分、愛おしさ半分で俺はつぶやいた。

「ふふ、スイカを食べた後って感じかな。先輩、おなかがいっぱいになるといつも豪快に寝たから」

譲がうれしそうに笑う。

子供のころと変わらない、無邪気な、透き通った笑顔だった。




「……譲」

「ん?」

「俺は……、そう長く一緒にはいられない」

「え?」

いきなり、俺の声のトーンが落ちたのに譲が驚く。

「最初に言っただろう? 戻らなきゃいけない場所があるんだ」

「それは……確かに、そう言ってたけど……」

譲の顔に複雑な表情が浮かんだ。

それは、弟としてなのか、八葉としてなのか、それとも、恋敵としてなのか……俺にはわからなかった。

しばらく見つめた後、すっと視線を外す。

そして、絞り出すように言った。

「…………先輩を……連れて行く……のか?」

「な!? んなわけないだろ」

「でも! でも、もし先輩がそれを望んだら……!」

「望もうが望むまいが、連れて行けねえんだよ! だいたいお前……」




「……ん? ……何? 呼んだ?」

無意識に大きくなった俺たちの声に、望美が反応した。

目をこすり、着物を引っ掛けたまま起き上がってくる。

「……あ! す、すみません、大きな声を出して」

「まあ、ちょうどいい頃合いだろ。昼寝しすぎると、夜眠れなくなるしな」

望美はとろんとした目で譲と俺を見ると、あくびと伸びを何回か繰り返した。

「……大丈夫……ですか?」

「……ん……で、何? 何の話?」

「俺がここにずっとはいられないって話だ。最初から言っただろう?」

「……兄さん」




ぱちんと、何かが目の前で弾けたように、望美の瞳に生気が戻った。

「……あ、そっか。……そうだよね」

言った後、少し考え込むような表情になる。

「幸いここは安全そうだしな。お前らはここから動かないほうがいい」

「そうはいかないよ。私たち、これから景時さんたちと行動を共にしなきゃならないんだから」

望美がまっすぐに俺を見る。

「行動? 景時はどこかに行くのか?」

「今は源平合戦の最中だから、戦況次第で移動することはあり得るだろうな」

譲が不安そうに言った。

「そうか……。まあ、そうだろうな」

平家が京を去った時のように、大火が起きることもある。

避難が必要な事態は、いくらでも考えられた。




「でも、大丈夫! きっとまた会えるよ!」

澄んだ声が響く。

俺と譲は、思わず望美を見た。

「ここで離れても、必ず会える! ね、将臣くん!」

「あ……ああ」

「先輩」

「神子様のご託宣っていうやつか?」

茶化すように言うと、望美はにっこり微笑んだ。

「そう思ってもいいよ! 大丈夫。私たちは強い絆で結ばれてるんだから」

俺たちの手を握り、まるで魔法の呪文でも唱えるように断言する。

不思議な確信が、俺の中に芽生えた。

おそらくは譲の中にも。




「でも、いなくなるときはちゃんと断ってね。譲くんとか、心配で何も手に付かなくなっちゃうから」

「先輩! 俺はそんなこと……!」

「オウケイ。かわいい弟を泣かせるわけにはいかねえからな」

俺にぐしゃぐしゃと頭を撫でられて、譲は膨れっ面をした。

「それから譲、俺が望美を連れて行く時は、お前も一緒だ。俺にとっては二人とも、面倒見なきゃならねえ家族だからな」

「!?」

「? 将臣くん?」

そろってこちらを見た二人に、俺はウインクをかます。

「もっとも、望美がこっちの八葉とラブラブになったら、俺は譲だけ引き取って姿を消すがな」

「兄さんっ!!」

「え~、三人で一緒に鎌倉に戻ろうよ!」




そう言った望美の目を、俺はじっと見た。

「それがお前の望みか?」

「うん」

「わかった。覚えておく」

「……先輩」

今の時点での、お前の願い。

この先、さまざまな運命に翻弄されて、儚く消えゆくかもしれない、刹那の……希望。




「……戻ると、ちょうどクリスマス前だよな~。休み明けには試験があるし、俺、高校の授業内容なんてすっかり忘れちまったぜ」

「そ、そ、そ、それは言わない約束だよ、将臣くん! 私だって、半年も前に勉強した試験範囲、今さら思い出せない!」

「でも、二人とも三年生になるんですから、どっちにしろ全範囲復習しなきゃならないんじゃないですか?」

譲のシビアな台詞に、望美と二人でガックリと肩を落とす。

「譲~」

「譲く~ん」

「あ、す、すみません。俺だって似たようなものですよね。ははは……」

ちっともフォローになっていない譲の言葉に、望美はもう一度盛大にうなだれた。

……でも、いい。

勉強が、受験が、どんなに大変でも、いい。

命の心配も、明日の食料の心配も、寝泊まりする場所の心配もないあの世界に戻れるのならば、それでいい。

たとえ、俺は戻れないとしても、この二人を返すことができるのなら、それでいい……。




「あ、これ、何? 桜湯?」

「ええ、そうです。冷めちゃったから、温かいのを持ってきますね」

「私も廚に行く~!」

「望美、ついでにおやつもせしめようとしてるだろ」

「う……」

「兄さんも、何か食べるだろ?」

「……だな。ここを離れたら、お前の菓子もしばらく食べられないし」

「何なら作り方、教えようか」

「う~~ん、まあ、ちょっと考えさせてくれ」




「譲く~ん、将臣く~ん、早く~!」




日だまりの中、お前の髪が光を弾いて眩しく揺れる。

ありふれたように見えて、二度と巡ってはこないだろう穏やかな時間。

「先輩、前向いて歩いてください!」

少したくましくなった譲の背中を追って、俺はゆっくりと簀子縁を渡り始めた。

この瞬間だけ自分に許すことにした、淡い未来の夢を描きながら。

柔らかい春の日差しが、俺たちに降り注いでいた。





 

 
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