花びらの中で3
「忍人……」 もの言わぬ身体を抱き上げながら、私は呟いた。 「…君は本当につれない人ですね。また、私の話など聞かずに、独りで行ってしまった…」 肩も、背も肉が落ち、気づかないうちにこんなに軽くなっていたのだと、その事実にうちのめされる。 「それは私の役割ですよ。君には生き延びる道だって残されていたのに……」
どの既定伝説をたどっても消える宿命の私と違い、君には千尋の重臣として生き延びる道があった。 新しき中つ国を守る剣として、大将軍として。 けれど、君が千尋を愛し、千尋も君を愛してしまったから……。
「花びらとともに大地に斃る 満たされぬ想いに包まれながら」 何度も読み返して、とっくに覚えてしまった竹簡の文言。 はらはらと舞う桜の花びら。 「……まったく…。君は本当に……生真面目すぎる」 涙など、とうの昔に枯れ果てたと思っていたのに、今、自分の頬が濡れているのがわかった。
「知っていましたか? 私が常世の国に寝返ったとき、一番辛かったのは君を傷つけることだったんですよ」 忍人を腕に抱いたまま、ゆっくりと回廊をたどる。 群がっていた人々は、声もなく左右に分かれ、道を開けた。 「四道将軍に裏切られ、エイカに裏切られ、傷つき、黄泉を彷徨った君に、さらに残酷な現実を見せてしまう……」 (そいつは敵だ! 今すぐに斬れ!) 再会のとき、普段の冷静さをかなぐり捨てて言い放った君。 あの激しさが心の傷の深さを物語っていた。 ここで斬られても仕方ないと……一瞬、思ったほどに。
「なのに君は、いつの間にか私を認めてくれた…。それどころか誰よりも強く深く、私を信じてくれましたね……。君が満足するような説明など、何一つしなかったのに……」 忍人を部屋の寝台に横たえ、こわごわと覗き込む釆女たちに、水と布、花と香を持ってくるよう言いつける。 上着の中は血まみれで、手遅れとは知りながら、生きた人間を治療するように、傷を清め、傷口を布で覆った。 12歳になるやならずで師君の門を叩き、16歳から後は、ただひたすらに戦い続けた剣士。
「忍人……。今日までの日々は、少しは君に安らぎをもたらしましたか…?」 丁寧に血を拭い、穏やかな、幼ささえ感じさせる顔を清めながら問いかける。 (…ああ) 微かに、微笑みが浮かぶ。 (目標もなく戦った5年間に比べれば……ずっと幸せだった……) 「そう…。それはよかった…」 頬に落ちる雫は、止めようもない私の涙。 「…私も、幸せでしたよ。まるであの頃が戻って来たようで……。幸せすぎて、ずっと怖かった……」 (そうは見えなかったな。おまえはいつでもおまえだ) 「ひどいですねえ、相変わらず」
(柊…) 忍人の手が、頬に触れる。 まだほんのりと温かい。 (…千尋を頼む。俺はもう……守れないから) 「嫌ですよ。君の代わりなんて、誰にも務まりません」 (…………) 「だから忍人、あなたは行ってはだめです」 (…………) 「……いかないで……。忍人、逝かないでください……」
清め終わった身体に、すがりついて泣く。 もうすぐ彼女が来てしまう。 そうしたら、私はもう二度と涙をこぼさないから。 今だけ……今だけ、君のために泣かせてください。 忍人…。 私の大切な……弟……。
軽い足音が聞こえる。 我が君の歩む音。 どうか彼女がこの悲劇に耐えられるように……。 祈りながら涙を拭い、私は身を起こした。 「…本当に……。君はつれない人ですよ、忍人。君のせいで、私はもうしばらくは消えられません…」
部屋を出て、回廊に向かう。 眩しい光の中、まだ何も知らない我が君が、不思議そうな顔で私を見上げた。 はらはらと舞い散る、桜の花びらの中……。
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