花びらの中で ( 1 / 3 )

 



「忍人さん!!」

ジャラジャラと重そうな装飾品を鳴らしながら、千尋が一目散に走ってくる。

満面の笑みを浮かべて、まるで子犬のように。

「そんな格好で走っては駄目だ!」

忍人は、考えるより先に走り出していた。

案の定、敷石の段差に千尋がつまずく。

傾いた身体を、すんでのところでしなやかな腕が柔らかく受け止めた。

「…まったく。君には王の自覚というものが」

忍人の胸の中の千尋は、けれど笑っていた。

「千尋?」

「忍人さんっ!」

ぎゅっと抱きついて、今度はわーっと泣き始めた。

何が何やら、忍人には理解できない。




千尋の髪に手をやり、軽く撫でると泣き笑いの表情を浮かべた顔が見上げる。

「私、うまくできましたか?」

「…立派な詔だった」

笑顔がこぼれた。

「あ、足がガクガク震えちゃって、きっと声も震えていたと思うけど」

「君の思いがまっすぐに伝わってきた。中つ国は、きっと素晴らしい国になるだろう」

今度は涙が溢れ出す。

「あ…ありがと……」

「さっきから……泣いたり笑ったり、忙しいな」

そう言う声は、しかし限りなく優しかった。




「お、忍人さんの顔見たら、あ、安心しちゃって」

涙を一生懸命拭いながら、千尋が言う。

「そういうことを言う人間も珍しい」

柔らかく微笑むと、小さな背中を支えながらゆっくり歩き出した。

「陛下」

「陛下、素晴らしい詔でございました」

「陛下の御世に栄光あれ」

周囲からたくさんの声がかかる。

千尋はいちいち手を上げて、恥ずかしそうに応えた。




「疲れただろう。このまま休むなら、部屋まで送るが」

忍人の問いかけに、千尋は大きく顔を左右に振る。

「ううん。桜、桜を見に行きましょう! さっき約束したでしょう?」

「大丈夫…か?」

大きな瞳をさらに見開いて、千尋がうなずく。

「一番大切な日に、一番大切な約束を果たしたいんです」

「…………」

黙り込んだ忍人に、千尋は慌てる。

「あ、でも、忍人さんの都合が悪ければ…」

ふっと、ようやく笑みがこぼれた。

「王の意向に逆らえる臣下などいない」




「忍人さん!」

さっと顔色を変えた千尋に、

「……というのが口実になるだろう」

と微笑む。

今度は千尋の顔がギューンと赤くなった。

「…本当に、忙しいな」

「もう…! 忍人さんのせいです!」




「皆が騒がないよう、行く先を知らせてくる」と、背を向けた忍人を見送ると、千尋は身支度に向かった。

さすがに二ノ姫の時代の気軽な服装には戻れないが、祭祀用の重い装束は脱ぎたい。

小走りに通り抜ける回廊に、宮の外に咲く桜の花びらが舞っていた。

ひとひら手に受け、真っ青な空を見上げる。

(中つ国……私の愛する国)

そよ風が、まだ伸びきらない髪を揺らした。

(こんな春の陽光のような、穏やかで幸せな国にしたい)




「千尋」

いきなり声をかけられて我にかえる。

風早が少し離れたところに立って、困ったように微笑んでいた。

「忍人と出掛けるんでしょう? 支度はいいんですか?」

「あ、ごめんなさい! ありがとう!」

タタタと軽い足音を立てて、再び走り出す。

「千尋」

「え?」

「素晴らしい詔でしたよ」

「…! ありがとう!!」

輝くような笑顔で応えると、王の私室へと飛び込んでいった。

「本当に……よかった…」

後ろ姿を見送りながら、風早がつぶやく。