月下美人 ( 2 / 2 )
「……真っ黒だな」
約束通り、土の曜日の夜に女王候補の寮を訪ねたクラヴィスは、思わずつぶやいた。
彼の目の前には、漆黒のマントをまとったアンジェリークが立っている。
「このほうが月下美人が映えると思って。ほら、フードをかぶると髪も隠れるんですよ。闇の中に真っ白な花が咲くときれいでしょうね」
自分のアイディアを披露するため、彼女はフードをかぶってみせる。
「……なるほど。だが……」
「はい?」
長い腕がすっと伸びて、真っ黒なフードを外した。
輝く金色の髪が、再びこぼれ出す。
「? クラヴィス様?」
「……今から隠す必要もなかろう……」
「……? はい」
かぶったままでも支障はないのだが、アンジェリークは素直にクラヴィスの言葉に従うことにした。
二人きりで、闇の帳が降りた街を歩く。
クラヴィスのゆったりとした足取りのおかげで、歩幅が違うアンジェリークも横に並んで歩くことができた。
時折、彼女は傍らの端正な横顔を見上げる。
笑みこそないものの、静かで穏やかな表情。
ほっとすると同時に、何とも言えないうれしさがこみ上げてくる。
「きれいな夜ですね。空も晴れ渡って、星がたくさん見えます」
夜空を見上げ、思い切って口を開いた。
「……そうだな」
「お月様もきれい! 灯りがなくても十分明るいですね」
「……ああ」
「見慣れた道がまるで違う場所みたいで……。ほら! 庭園の噴水が光っていますよ!」
前方に煌めく銀色の噴水を見つけて、アンジェリークは走り出した。
「アンジェリーク」
「クラヴィス様、ほら、こっち!」
振り返って、うれしそうに指を差す。
「前を見て……」
クラヴィスが口を開いたのと、アンジェリークが短い悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。
闇に隠れていた段差に、見事に足を取られ、身体が傾く。
「キャッ……!」
思わず目をつぶったアンジェリークは、次の瞬間、しっかりと抱き止められていた。
「!?」
「……歩けと……」
「クラヴィス様!?」
どうやってあの距離を移動したのか、わずかに息を弾ませて、闇の守護聖はアンジェリークを支えていた。
「す、すみません!!」
「……いや」
「ご、ご迷惑をおかけして……!」
「……別に……構わない」
アンジェリークは身体を離して、きちんと謝ろうとしたが、なぜか姿勢を変えられない。
クラヴィスの腕が、背中に回されたままだからだ。
「……? クラヴィス様?」
「…………」
「……あの…?」
回された腕に力が入り、より深く抱き締められる。
「あ、あの……?」
「……美しいな……」
「え?」
クラヴィスはアンジェリークの髪に唇を寄せると、そっと口づけた。
「?!」
そのまま目を閉じ、静かに、愛おしむように華奢な身体を引き寄せる。
「ク……!?」
広い胸の中で、全身を真っ赤に染めた少女は言葉をなくしてしまう。
クラヴィスはその耳元に低く囁いた。
「……おまえは……闇に呑まれることなく、いつでも輝いていてほしい……」
「クラヴィス様……」
「……」
少しためらった後、アンジェリークはゆっくりと身体の緊張を解いた。
そして目を閉じ、漆黒の衣をまとう胸に顔を埋める。
飾り気のない凛とした白檀の香りが、鼻腔をくすぐった。
カラーン カラーン
遠くから鐘の音が聞こえてくる。
その音を耳にして、アンジェリークは我に返った。
「あ!! もう8時半です! 大変、お花が咲いちゃいます」
「……花…」
勢いよく腕から飛び出したアンジェリークを、クラヴィスは少しうらめしげに見つめる。
「さあ、クラヴィス様、急ぎましょう!」
「……私は……別に……」
花などどうでもいい……というつぶやきは、小走りに先を急ぐ少女には届かなかった。
「クラヴィス様~~! 早く~~!!」
大きく腕を振って、一生懸命手招きしている。
「…………まったく……難儀なことだ……」
大きなため息をつくと、闇の守護聖はしぶしぶ歩き出した。
* * *
闇の中に、気高く浮かび上がる真珠色の花弁。
内側から発光しているかのような、華やかで神秘的な姿に、感嘆の声がもれる。
「……う……わあ……!」
「きれいだよね! まるで白い女神様みたいだ」
フードをすっぽりかぶって花を見つめるアンジェリークに、マルセルが声を掛けた。
「本当に。今夜一晩しか咲かないなんて、嘘みたいです……」
「……確かに……美しいな……」
突然、後ろから低い声が囁く。
「あ、クラヴィス様ももっとそばでどうぞ。……あれ?」
「アンジェリーク? どうかしましたか?」
クラヴィスの声を聞いた途端、真っ赤になって硬直するアンジェリークを、マルセルとルヴァが気遣った。
「い、いえ、なんでもないんです!!」
「でも……」
「……確かに…足を運ぶ価値はあった……」
月下美人を前にしながら、アンジェリークを見つめている濃紫の瞳。
ギューンと音が聞こえそうなほどに、少女の全身が赤く染まっていく。
「あああ、アンジェリーク!? 本当に大丈夫ですか~?!」
「ゆでだこみたいだよ?!」
ルヴァとマルセルが本気で心配し出すと、オリヴィエはクラヴィスの腕を引っ張って、月下美人から引き剥がした。
物陰に行き、小声で非難する。
「ちょ~っと、この闇夜のスケベ狼! あのコに何やったのよ?」
「……何も……」
澄ました顔を崩さない闇の守護聖に、オリヴィエは声のトーンを上げた。
「もおおお、しらばっくれちゃってさ~!! 嫌らしいったらないわよね~、リュミちゃん?!」
「オ、オリヴィエ、そのような言い方は失礼ですよ」
なぜか巻き込まれた水の守護聖が懸命になだめる。
すると突然、クラヴィスが意味ありげに微笑した。
「「?!」」
「………別に……かまわぬ」
それだけ言って、二人に背を向け立ち去っていく。
「やってる!! 絶対あれはやましいことをやってるわよ~!!」
「オリヴィエ、落ち着いて」
頭から湯気を出してプンプン怒る夢の守護聖と、困り顔で隣に立つ水の守護聖。
ゆでだこのようなアンジェのそばでオロオロする地の守護聖と、独りしたり顔で黙り込む闇の守護聖。
「もう~! 皆さん、お花を見に来たんでしょ? ちゃんと花の前に来てくださいよね!」
一番年少の緑の守護聖は、一番まっとうなことを言って守護聖たちをたしなめたのだった。
クラヴィス様、案外手が早い……。
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