flavor of life ( 2 / 2 )
真っ赤になって倒れた譲には、ひとまず濡れた手拭を額に乗せておいた。
起きる気配はなく、ただ昏々と眠っている。
「この分じゃ、目が覚めても夢だったと思うんじゃねえの?」
「えええええっ!?嘘っ!」
「……っ、くっ、それにしても、ひ、ひどいなこりゃ。は……ははははは!」
「もうっ、必死なのに、何で笑うの~!」
「いや、実際すげえって。実の兄が見てるのも構わず弟にキスするか?」
「えっ、あっ、ああっ!ごめん~~~!!」
ようやく自分のした行動がとんでもなかったと気が付いたのか、望美も見る間に赤くなった。
俺はげらげらと笑いながら、反面、笑える自分に驚いてもいた。
もっと荒れるかと思っていた心は驚くほど凪いでいる。
俺の上にこいつらの知らない時が流れた。そして、こいつらの上にも同じく、俺の知らない時が流れていた、それだけの話だ。
「たく、譲は恋愛スキル足りねーんだから、手加減しろよな」
「うっ……早すぎた?」
「最速すぎだろーが。F1かっつの。もうちょっと時間かけて、あんま焦んなって」
「そうなのか……な。どうしよう、譲くん大丈夫かな。物凄く顔が真っ赤だよ」
「まあ、幸せそーな顔してるから、ほっとけ」
譲の額をピシ、と軽く小突いて立ち上がる。
「ええっ?行っちゃうの?」
望美が慌てて俺の着物の裾を掴む。
「お邪魔虫は消えてやるって。たく、見てられるかよ。暑いんだから、あんまり当て付けんじゃねーよ」
望美はさっと赤くなったが、はっと、隅に置いてあった袋を引っ張り出した。
「そうだ、これ!忘れてた」
「ん?何だよ」
「お土産のスモモ。美味しそうでしょ。譲くんが見つけたんだよ」
見れば、食べ頃に熟した赤い実がいくつも入っていた。
「おっ、サンキュな。ああ、そういや昼飯まだ食ってなかったな」
「やっぱり!」
望美が我が意を得たり、と言った顔で俺を見た。
「譲くん、将臣くんの分のお弁当作っていかなかったでしょ。それ気にしてるようだったから、様子見に戻って来たんだよ。『これで我慢してもらいましょう』って」
胸の奥が、音を立てた。身体が機械細工だとしら、きっとこんな感覚なのだろうか。
しなやかな鋼のゼンマイがギリギリと巻かれるように、時が巻き戻される。
胸の時計の針が俺を一瞬だけ、17歳に連れ戻す。
額に手拭を乗せて眠る譲は、記憶の中のままで。
『それで我慢しておけよな……』
「……相変わらずのお節介だな」
「もう、そんな事言わないの!食べてね」
こて、と首を傾げて笑う望美の顔も、眠る弟の顔も、切ないまでに甘い。
「なら、ちょっと井戸行って冷やしてくるか」
「あ、そうだね」
望美がパッと笑った。
袋の中のスモモは可愛らしく行儀よく並んでいて、俺は思わず笑い出す。
「これ、おまえらみたいだよな。赤くて甘くて」
「ま、将臣くんっ!!」
俺は、望美の肩をできるだけ優しく、とん、と叩く。
「……譲には、いつでも甘いもんだけ食わせてやってくれよな」
「え……えっと?」
きょとんと見上げてくる合った瞳の、その澄んだ色も眩暈がしそうな程、懐かしくて――何もかもが狂おしいほど、遠く、可愛らしい。
「ははっ。譲には、お前がついててやるのが一番の薬だって事。……頼んだぜ?」
「そ、そうかな……?分かった。ちゃんと見ておくよ」
「オウケィ。もう悪さはなしだぜ?」
「もうっ!そ、そんなに何回もできる訳ないでしょう!」
真っ赤になって怒った望美に手を振って部屋から出る。
ちら、と振り返れば、望美はじっと生真面目に譲の寝顔を見つめ始めていた。
そんな二人を俺は遠く見て、厨へと足を運ぶ。
懐かしく甘く、そしてもう俺が帰れない世界に背を向けて。
◇ ◇ ◇
厨で網を借りてスモモを井戸に落とさせてもらう。
譲の目が覚める頃にはちょうど冷えるだろうから、折角だし三人で食うかな、と考えたが、一つだけ取った。
「お裾分け、ってやつだな」
目に染みるような夏の青空を見上げながら、カシッと齧る。
冷えていないスモモは温くて、甘く、少しだけ酸っぱかった。
まるで、本当に甘かった、ガキだった頃の俺の味だな、と、ひとり哂う。
何であの頃は、早く大人になりたいなんて生き急いでいたんだろうな。
今となっては、もっと大事にすりゃよかったって思うぜ。
二度と戻れないからこそ……余計にな。
届いた書状を思い出す。熊野別当との会合如何で、平家の取る道が変わる。
戦は避けられないとしても、何としても未来を切り開かねばならない。
福原への土産もスモモがいいか、なんて思う。それとも、あの幼い帝は、もっと甘いものの方が喜ぶだろうか。
井戸の底に沈む果実のように、幼い笑顔を、信頼を――海の底に沈める訳にはいかない。
この先の、きな臭い戦の煙は、俺達大人が全部引き受ける。
貴方が甘い物を沢山食って、笑って、大きくなれる未来を作る為に。
べたついてしまった手を井戸で洗って、うーん、と一つ背伸びをする。
大丈夫。大人の苦い味も、今なら美味いと感じられるからな。
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