出逢う日の前に ( 1 / 3 )
降り続いたみぞれまじりの雨がようやく止み、見事な青空が広がる早春の京。
友雅は近衛府の中庭で、近々予定されている行幸の警備に関する指示を、舎人たちに与えていた。
帝の警護は近衛府の最重要任務。
しばらくは女房たちのもとに通うのも控えざるを得ない。
さて、では今宵はどのように過ごそうか……と思いを巡らし始めたとき、
「橘少将殿」
「おや、鷹通」
治部省の愛すべき堅物、藤原鷹通に声を掛けられた。
「別に、友雅殿直々にご案内いただく必要はないのですよ」
近衛府内を巡る回廊。
そこを通って、いくつかの書状を関係部署に届けながら、鷹通は言う。
「安心したまえ、鷹通。私も下心なしでは親切にしないよ」
「その下心が気になるから、申し上げているのです」
鷹通は苦笑を浮かべた。
「けれど、感謝いたします。友雅殿が一緒にいらっしゃるおかげで、久しぶりにお会いした方々とのお話も弾みました」
「君は昔は毎日のようにここに通っていたからね」
「はい。友雅殿より勤勉だと言われました」
にっこり笑う鷹通を、友雅は横目で睨んだ。
義務を果たさねば、一日も早く認められねばと、いつも全身を緊張させていた童男(おのわらわ)。
働きぶりが突出して、古参の連中に袋だたきにされてしまった。
ひょんなことからそれを助け、近衛府で武術の手ほどきをするはめになったのだが……。
「それで、どのような下心が?」
「今夜、私の邸に来たまえ。久々に顔を出した月を眺めながら、一献傾けるとしよう」
「お招きありがとうございます。喜んでうかがいます」
柔和に微笑むと、暇を告げて治部省に戻っていく。
そういえば、あんなに幼い頃から知っているのに、鷹通の泣き顔を見たことがない。
「……あの男はどんなときに泣くのだろうね……」
後ろ姿を見送りながら、友雅はつぶやいた。
* * *
「あの……橘少将殿……」
昼前の務めを終え、近衛府を出てきた友雅は囁くような声で呼ばれた。
目を向けると、豪奢な袈裟をまとった少年が、心細げに立っている。
「……永泉……様?」
「突然お声をおかけいたしまして、申し訳ございません」
少年は深々と頭を下げた。
今上帝の弟宮にして、一度は春宮に推されたこともある法親王。
出家の前にも後にも、友雅はその姿を内裏で見かけたことがあった。
言葉を交わしたことはほとんどないが。
「どうかお顔をお上げください、永泉様。いったいどうされたのですか。主上(おかみ)を訪ねていらしたのでしたら、内裏までお送りいたしますが」
「い、いえ、その……」
言葉を探して、永泉は口ごもる。
どうやら何か言いにくいことがあるらしい。
友雅は彼を自分の牛車へと誘った。
都大路をゆっくりと進む車。
それでも屋形はそれなりに揺れる。
しばらく振動に身を任せたあと、永泉はようやく口を開いた。
「あの……橘少将殿は、あにう……主上の信頼の篤いお方と伺っております」
「どうか友雅とお呼びください、永泉様。もったいなくも時折、御前には上がらせていただいております」
友雅の深く響く声に励まされ、永泉は顔を上げた。
「……実は……少……友雅殿から主上にお伝えいただきたいことがあるのです」
「私から? 主上の御前には、永泉様のほうがよく上がられているように思いますが」
「……わたくしはそれを……やめたいのです……」
消え入るように言うと、少年は再びうつむいた。
そもそも、永泉が出家したのは後継者争いから身をひき、兄の即位を促すためだった。
それが成就した後、もともと仲のいい兄弟は頻繁に会うようになる。
ところが、その交流をよく思わないものが、さまざまな陰口を流し始めた……というのだ。
「……わたくしのせいで、主上にご迷惑がかかるようなことがあっては取り返しがつきません。ですから、今後は一介の僧侶として、内裏からは離れて生きていきたいと思うのです……」
「永泉様は最近、御室に籠って何やら悪だくみをされているらしい。やましいことがあるからこそ、御前に上がれないのだ……と噂されたら?」
「?! し、少将殿?!」
真っ青になった永泉に、友雅は優雅に微笑みかける。
「永泉様、悪意のある者たちは、あなたがどのような行動を取ろうと、それをねじ曲げて噂するもの。いちいち気にされていては、この京で生きていくことは叶いませんよ」
「…………」
友雅の顔をしばらく無言で見つめた後、永泉は頭をうなだれた。
「やはり、わたくしは京から遠く離れた場所に隠棲するほうが……」
「私はそういう意味で言っているのではありません、永泉様」
帯に手挟んでいた蝙蝠(かわほり)を手に取ると、ゆっくりと広げる。
「……主上はそういった権謀術数のただ中で生きておられます。心を開いてお話しになれる、弟宮の存在は何よりの慰めとなっていることでしょう」
「けれど……」
「永泉様が主上の御身を案じていらっしゃるのでしたら、遠く離れるよりもおそばでお支えすることこそ必要ではないかと……出過ぎた口をきいて申し訳ございませんが」
「……友雅殿……」
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