大好きな人に ( 1 / 2 )
「あれ?」
花梨が突然立ち止まったので、傍らを歩いていた幸鷹も歩を止めた。
「神子殿?」
「あの、幸鷹さん、横浜の中華街とかでお祝いしていた『旧正月』ってありますよね」
「ええ」
幸鷹が記憶を取り戻してからというもの、花梨はこうやって突然元の世界の話題を持ち出す。
多分、これまでも話したくて話したくてたまらなかったのだろう。
ようやく自分という受け皿を見つけて、目をキラキラと輝かせながらさまざまな想いを注ぎ込んでくる。
ほかの八葉には決して務めることができないこの役割を、幸鷹は密かに楽しんでいた。
「……あれって、この世界のお正月と同じなんですか?」
今日一日の使命を終え、二人きりで夕暮れの雪道を辿りながら、花梨が真剣な瞳で尋ねる。
「多少のずれはありますが、その通りです。元の世界では、1月の下旬から2月の中旬にかけて祝われることが多かったですね」
「……ということは、元の世界で今は……」
12月29日の最終決戦を前にしたこの時期。
その翌日が元の世界の旧正月に当たるのだとしたら……
「元の世界の暦では、今は1月の半ばくらいでしょうか」
「ええっ?! そんな!!」
大きな声で言い放ってから、花梨はあわてて口を押さえた。
「神子殿?」
「ご、ごめんなさい!」
真っ赤になって頭を下げると、花梨はそれきり黙り込んでしまった。
「……?」
不思議そうに見つめる幸鷹の視線に気づかないはずはないのだが、何か思うところがあるのだろう。幸鷹もあえてそれ以上は追求しなかった。
山の端へ姿を隠そうとする日輪と競うように、二人は四条の邸へと歩を進めたのだった。
* * *
「え……。本日は外出されないのですか?」
翌朝。
邸を訪れた幸鷹が取り次ぎを求めると、紫姫から意外な言葉が返ってきた。
「はい……。せっかくお越しくださいましたのに、申し訳ございません」
小さな体を深く折って頭を下げる。
「いえ、私はよいのですが、神子殿はお身体の具合でも悪いのですか?」
紫姫が弾かれたように顔を上げた。
「いえ! とんでもございません! 大変お元気でいらっしゃいます」
「では、なぜ?」
「そ、それは……」
まだ幼い紫姫には、ごまかすなどという芸当はできない。
おどおどと視線をさまよわせるのを見て、
「紫姫、立ち入ったことをお聞きして申し訳ございませんでした。では、私はこれにて」
と、一礼し、幸鷹は背を向けた。
「あ、あの幸鷹殿!」
後ろから紫姫の声が追いかけてくる。
「はい?」
「実は神子様からお言付けがあるのです」
「言付け?」
ようやく向き直った彼の袖にすがりつくようにつかまると、紫姫は幸鷹をまっすぐ見上げた。
「本日、夕餉をぜひこちらにてと。どうかお聞き入れくださいませ!」
大きな目をいっぱいに見開いての、必死の訴え。
「……承知いたしました」
「ありがとうございます!!」
輝くような笑顔を向けられては、それ以上仔細を問い質す気にもなれない。
幸鷹は仕方なく、そのまま四条の邸を後にした。
「夕餉……?」と、つぶやきながら。
* * *
その日の夕刻。
黄昏の都大路を急ぐ影があった。
影の主はもちろん幸鷹。
なぜ呼ばれたのかわからない上に、怨霊退治などがあるのかもしれないため、牛車は使わなかった。
そういえば最近は出仕のとき以外、ほとんど牛車に乗っていない。
花梨と外出することが多いためだが、考えてみると歩くよりも時間がかかる乗り物に乗ること自体、ひどく不合理に思われた。
自分は元の世界での思考方法に戻りつつあるのかもしれない。
そう気づいて、幸鷹はひとつため息をつく。
それがいいことなのか、悪いことなのか。
事実を知ってしまった今、知る前と同じように生きることは不可能なのだが……。
たどり着いた四条の邸は、いつもよりも賑やかに思えた。
来訪を告げるとすぐに、パタパタと簀子縁を走る音が聞こえてくる。
息を弾ませた花梨が
「いらっしゃい! 幸鷹さん!」
と、満面の笑顔で現れた。
「神子殿、お邪魔いたします。本当にこの刻限でよろしかったのでしょうか?」
「はい! 最後はバタバタやっつけになっちゃったけど、大丈夫だと思います!」
「……やっつけ?」
幸鷹の疑問をよそに、花梨は彼の腕を取ると奥の自分の局へと導く。
どれも貴族の邸で姫君がやったら周りが卒倒しかねない行為だが、四条の邸の人々はすっかり慣れたのか、ニコニコと花梨を見守っていた。
そのことに幸鷹は感慨を覚える。
「……もう3カ月以上になるのですね」
「え?」
「神子殿がこの世界に来られてから」
「…!」
花梨は一瞬黙った後、
「そうですね。なんかすごく……早かったような気がします」
と、照れたように笑った。
少し前なら幸鷹は、「もうすぐ元の世界にお返ししますから」と応じたかもしれない。
だが今、その言葉はあまりに彼の心情とかけ離れていた。
何とか彼女と離れずに済む方法を、気づけばいつも模索している。
彼の中で花梨は、すでに龍神の神子以上の存在になっていた。
「奇跡――私はあなたの存在をそんなふうに思います。あなたの心地よい光が、私のすべてを変えていく。単純であるがゆえに強い力。この恋は、そんなものであるように思います」
記憶を取り戻した夜に、花梨に告げてしまった想い。
「きっと気持ちの整理をつけるから」と自ら猶予を請いながら、その後も変わらぬ態度で接してくれる花梨に、かすかな寂しさや苛立ちを感じたりもしている。
もしかすると京に、自分の傍に残る道を選んでくれるのではないかと考えることもしばしばだった。
それが決して花梨のためにはならないとわかっていながら。
「? この匂いは……?」
簀子縁を渡りながら、幸鷹はつぶやいた。
あり得ないはずのものが、鼻腔をくすぐる。
「一生懸命頑張ったんですけど、『似たようなもの』と『似ても似つかないもの』のオンパレードになっちゃって」
花梨が頬を染めながら導く先には、とりどりの夕餉の膳が据えられていた。
中央で湯気をたてているのは
「パスタ……ですか?」
信じられない……という口調で幸鷹が言った。
「『のようなもの』です! 家庭科で作ったことがあったから、必死で思い出して。でも、粉とかいろいろ条件が違うんで、多分全然違うものになっちゃってます!!」
「こちらは……ハンバーグ……?」
「を目指した肉団子!! ごめんなさい、本当にもっとお料理とか習っておけばよかった!!」
すでに花梨の顔は真っ赤だった。
「お祝いのごちそうって、もっと豪華なものですよね。なのに調理実習みたいになっちゃって。これでもお邸の人たちがみんな協力してくれて、朝から大騒ぎだったんです。私が作ったって言うより、完全にみんなの合作で」
「神子殿、祝い……とは?」
必死で話す花梨をさえぎって、幸鷹は一番の疑問を口にした。
「え? あ、そ、そうか」
「神子様、まずは幸鷹殿にお座りいただいてはいかがでしょう?」
二人の様子をにこにこと見守っていた紫姫が、控えめに提案する。
「そうですね! お料理が冷めちゃうともったいないし! 幸鷹さん、こちらへどうぞ!」
上座に案内され、幸鷹は訳のわからないまま腰を下ろした。
その横にちょこんと花梨が座る。
「はい! 幸鷹さん、杯を持ってください。お酌しますね」
「しかし神子殿」
花梨があぶなっかしい仕草で幸鷹の杯を満たした。
「私と紫姫は甘酒を飲みますから、大丈夫です。紫姫、杯を持った?」
「はい、神子様」
「じゃあ、幸鷹さん、お誕生日おめでとうございます!!」
「おめでとうございます」
「!!」
ここに来てやっと、幸鷹は状況を飲み込んだのだった。
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