青い花冠

 

「……うわあ………」

千尋は思わず声を上げた。

乳白色の朝霧の中、紫陽花や露草の青紫色が星のように浮かんでいる。

夜が明けきっていないこんな時刻に、外を歩くのは初めてだった。

このところ、自分が自分でないような妙な胸騒ぎのせいで、眠れなかったり、ひどく落ち込んだり、夜が安らぎの時間ではなくなっている。

だから今日も、夜明けの気配を感じると同時に、天鳥船を飛び出していた。




こんなところを見たら、一番渋い顔をしそうな人のことが頭から離れない。

露草の青、紫陽花の青…。

夜の名残をとどめる霧の中の花々は、まるで彼のようだ。

昔、風早に教えられた記憶を頼りに、千尋はそっと一輪ずつ摘み始めた。



* * *



「はっ! やっ!」

低いかけ声と、剣が空を切る唸りが響く。

朝もやの中に立つしなやかなシルエット。

千尋が近づいていくと、その影は手を止めて振り返った。

「君か。こんなところで何をしている?」

責めるような厳しい口調。

「こんな時間に、一人でフラフラしているのは感心できないな」

なのに、耳にすると胸が勝手に高鳴る。

千尋は、おずおずと青紫色に彩られた花の冠を差し出した。

「……あの……花冠を……作ったんです……」




「……それを見せにきたのか?」

一瞬、忍人は虚を突かれたような顔をした。

「……悪いが、今は鍛錬中だ。後にしてくれ」

「……あ……はい…」

当然の返事なのに、ひどく胸が痛む。

千尋は無言で背中を向けた。

すると

「……そんなに落ち込んだ顔をしないでくれ」

声とともに、足音が近づいてきた。




「……?」

振り返る間もなく、すっと伸びた手が花冠を受け取る。

「紫陽花に露草……。いろいろな花が入っているんだな。形も崩れていないし、よくできている」

千尋のすぐ傍らで、忍人が言った。

「……忍人さんみたいだなって」

「俺?」

「凛としていて、深くて、きれいでしょう……?」

ふうっと溜息が聞こえる。

「俺などに見せるより、もっとずっとふさわしい人間がいるだろう」

「?」




ファサッ……と、花冠が千尋の髪に載せられた。

「……やはり似合うな。君は花のような人だから、当然なのだろうが」

「!!!」

千尋は真っ赤になって忍人を見つめた。

自分を見る彼の瞳がこの上なく優しいのを知って、はにかみながら微笑む。

「やっと、いつものように笑ってくれたな」

「……忍人さんはいつも突然だから」

ますます赤くなる千尋の背に手を添えると、忍人は天鳥船に向かって歩き出した。

「送ろう」

「あ、ありがとうございます」




早朝の道を、しばらく無言でたどる。

前方を見つめながら、忍人が口を開いた。

「……俺は、君が王族だから守っているわけじゃない」

「?」

問いかけるように千尋は顔を見上げる。

忍人の視線は前方に据えられたまま。

「君は国を背負う立場にいるから……」

うまく言葉が見つからないのか、再び沈黙が落ちる。

そしていきなり、千尋を正面から見つめた。

「俺は、君という花を守り抜きたいと…そう思っている」

「!!」

「……それだけだ」




あとは、船に着くまで無言だった。

千尋は沈黙の中の温かさがうれしくて、時折忍人の顔を見上げ、頬を染める。

忍人も千尋に悟られないよう、その横顔を見つめた。

霧の間から差し込む朝の光が、花冠に宿った朝露をキラキラと輝かせていた。



* * *



「姫様!」

天鳥船の乗船口にいた足往が、手を振りながら走ってきた。

槍を持っているところを見ると、彼も鍛錬していたらしい。

「忍人様の鍛錬を見に行ったのか?」

「ううん、私、邪魔しちゃっただけで…」

「見にくるのは問題ない。一人で来るのが問題なんだ」

忍人がピシャッと言う。

千尋と目を見交わして肩をすくめた足往は

「あれ、姫様、きれいな花冠だな」

と、ようやく気づいた。

「あ、私、かぶったままだったのね」




自分で取ろうとする千尋を軽く手で制すと、忍人はゆっくり、花冠を持ち上げた。

いきなり縮まった距離に、千尋の頬が染まる。

「あ、ありがとうございます」

「いや」

忍人は外した花冠を、千尋に手渡した。

「なんか姫様、花嫁さんみたいだな」

足往の無邪気な声。

「な、な、な、何言ってるの?! 足往」

「鍛錬の続きをしろ」

忍人はあっさり言うと、二人に背を向けて船に入っていった。




見送った後、千尋ががっくりとうなだれる。

「姫様?」

「……嫌われちゃったかも……」

「なんでだ?」

「足往があんなこと言うから……。気を悪くしたんじゃないかな」

無言で去っていった後ろ姿。

「姫様、忍人様の顔、見なかったのか?」

「え?」

顔を上げた千尋に、足往がにっこりと微笑みかける。

「少し赤くなってたぞ。あんな顔、俺も初めて見た」

「!!」

思わず、船の入り口にもう一度目をやった。

(もしかして、照れたから黙って行っちゃったの?)




「足往、ありがとう!」

足往の頭にふわっと花冠を置くと、千尋は走り出した。

「え? 姫様、どうしたんだ?!」

「忍人さんのところ、行ってくるね。それは足往にあげる」

「ええっ??」

狗那の立派な戦士(のつもり)は、花冠をかぶったまま、軽やかに駆けていく千尋の姿を呆然と見送ったのだった。






 

 
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