Tricky Treat
カフェのドアの前には、バスケットに盛られた色とりどりのお菓子が置かれていた。
「いたずらされたくない方は、1つ持ってからお入りください」
来店客がドアを開けて店内に入ると、満面の笑みを浮かべた魔女装束の少女が
「いらっしゃいませ! Trick or treat!」
と迎えてくれる。
さて、あなたは……?
「まあ、たいていの客は魔女に菓子を渡してから席に着くけど、たま~になあ」
カウンターの中で忙しく飲み物を作りながら、将臣がつぶやいた。
彼のバイト先であるこのカフェは、ただいまハロウィンイベント開催中。
いつもの倍以上訪れる客に、特別メニューを出さなければいけないということで、望美と譲まで駆り出されていた。
「……馴れ馴れしく先輩に『いたずらして!』とか言うやつって……」
「ピコピコハンマーで叩くだけだろうが。いちいちカリカリするなよ」
「……」
ピコン!
望美にプラスチックのハンマーで軽く叩かれた男性二人連れは、デレデレとうれしそうに席に案内されていった。
それを横目に、吸血鬼スタイルの将臣と、頭にオオカミの耳だけ付けた譲が、無言でメニューを作り続ける。
そもそもこの扮装も、最初は逆の予定だった。
「そんなマントを羽織って料理なんか作れないよ」
という譲の抗議で急きょチェンジ。
ドリンク担当の将臣は客の動きを見ながらフロアにも出るので、結果的に吸血鬼の扮装は好評だった。
かくして史上最大にノリの悪いオオカミ男は、カウンターの奥で不機嫌オーラをまき散らしながら黙々と料理を作り続けることとなる。
魔女の衣装のスカートが短いとか、そもそも先輩に接客させなくても、とかいう譲のクレームは、本人の「ええ? これかわいいよね?」というコメントと、将臣の「お前、望美に料理させる気か?」という一言で封じられてしまっていたので、ひたすら無言。
その空気が店内の楽しげな客に伝染しないのは幸いだった。
新規の来店客が途切れたタイミングで、譲は休憩のため厨房を出る。
店の裏口に置かれたベンチに座り、大きなため息をついて空を見上げた。
もうちょっとにこやかにするべきなのはよくわかっている。
だけど。
「譲くん、大丈夫?」
不意に声をかけられ、驚いて立ち上がった。
目の前には望美が、魔女の衣装のままで心配そうに見つめている。
「先輩。いえ、俺は別に」
「なんかずっと黙り込んでるから、体調でも悪いのかと思って」
「ち、ちがいます。先輩こそ、疲れたでしょう? ここ、座ってください」
譲に促され、望美は素直に腰を下ろした。
その横に譲も、遠慮がちに腰掛ける。
「今日はお客さんもノリノリだから、接客するの楽しいよ。たまには交替しようか?」
望美に微笑みかけられて、勝手に頬が熱くなる。
「いえ、俺は先輩や兄さんみたいに愛想よくできませんから」
「う~ん、その前に私が譲くんの代わりに料理するのが無理だわ。本当の地獄になっちゃう!」
「そ、それは……」
明確に否定できず口ごもる譲をよそに、望美は「あ、そうだ!」と立ち上がった。
「先輩?」
「あのね、今日はずーっとTrick or treatって言う側だったから、譲くん、私に言ってみてよ」
「え?」
「お客さんはどんな気分なのかな~と思って。ね、お願い!」
「はあ……」
ベンチから立ち上がり、頭をかきながら小声で「Trick or treat...」とつぶやく。
「だ~め! もっと明るい感じで」
「あ、明るい……ですか? ええと、Trick or treat!」
「よっしゃ~! はい、お菓子っ!」
両手を勢いよくポケットに突っ込んだ望美は、そのままの姿勢で固まってしまう。
陽気な表情が見る間に「やらかしちゃった」顔に変わっていった。
「先輩?」
「…………お菓子、店の中に置いてきちゃった……」
「え? あ、じゃあいいですよ、こんなの遊びですから」
「ダメだよ~! ああ、ハンマーも店の中だし、え~と、譲くん、何でもいいから適当にいたずらして!」
「ええっ?!」
「デコピンでもほっぺたムニューでも豚の鼻でも、何でもやっていいから!」
「で、できません、そんなこと!」
「はい、どうぞ!」
漢気(おとこぎ)全開の望美が、目をつぶって顔を差し出す。
(な!? こ、こ、これじゃまるで……!!)
ほとんど「キス待ち顔」の望美の前で硬直しながら、譲は猛省した。
そもそも今日の自分の不機嫌は、こんなにかわいい格好の望美をほかの男に見せなければならないことが原因だった(注:この時点で譲は望美とつきあっているわけではありません)。
見も知らぬ男たちに望美が最高の笑顔を振りまいているのが悔しくて(注:来店客は圧倒的に女子が多いです)、こんな場を用意した将臣が腹立たしくて(注:ノリノリでやりたがったのは望美です)、とはいえ(注:)の内容も十分わかっているので、表立って文句も言えず、ただただ不機嫌になっていたのだ。
そんなことも知らず、望美は譲の気持ちを少しでも盛り立てようとして「いたずら」を促している。
(いっそこのままキ……いや! それは絶対やっちゃいけないことだ、男としても人間としても! でも、でもこんな先輩を前にしたら俺は……!)
じっと譲の「いたずら」を待つ望美の眉間に、かすかに皺が刻まれる。
多分待ちくたびれてきたのだろう。
(ああ、もう考えてる暇なんてない!)
譲は覚悟を決めると、突然、ガバッと望美を抱きしめた。
「え……?!」
「…………」
時間にしてほんの5、6秒。
望美はよほど驚いたのか、その間まったく動かなかった。
「はい、いたずら終わりです」
譲が体を離しても、しばらくぽかんと見つめている。
「先輩、すみません。ふざけすぎましたね」
「あ、ううん。大丈夫」
今朝からずっと持て余していた、愛らしい彼女を「抱きしめたい」という気持ち。
まさかこんな形でかなうとは思わなかったが、それにしても望美の反応が心配だった。
「……先輩?」
呼ばれた望美は譲の頭からつま先までを、視線で何度もゆっくりとたどる。
「……譲くん……」
「……はい」
「大きくなったんだね」
「……は?!」
「うん、その、もちろん頭ではわかってたんだけど、こんなに大きくなったんだなあって驚いちゃって……だって、昔は私より背も小さかったじゃない? なのにさっきはまるで……」
やっと幼なじみを卒業できるのだろうか?
かすかな希望が芽生える。
「お父さんみたいだった!」
ガクーっと落ち込んだ譲は、思わずベンチに座り込んだ。
そこに、裏口から顔だけ出した将臣のカミナリが降ってくる。
「お前ら、いつまで休んでるんだ! 俺を殺す気か!!」
「あ、ごめん、ごめん! じゃあ、譲くん、また後でね!」
ヒラヒラとスカートのすそをなびかせながら、望美が裏口に消えていく。
「やっぱりあのスカート、短すぎる……」
後姿を見送りながら口にした言葉がやたらと「お父さん」臭くて、譲は再度落ち込んだ。
「幼なじみからどうしてお父さんになっちゃうんだ……。その間はないんですか、先輩」
しょんぼりしたオオカミ男が店内に戻るには、もうしばらく時間が必要だったという。
「やめろ、望美! お前が作るくらいなら注文キャンセルしてもらうからっ!!」
店内はその間、阿鼻叫喚だったとか何だとか。
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