初めての「誕生日」 ( 2 / 2 )
「22日の昼餉のころに、ぜひ土御門を訪ねてほしい」
このあかねの願いを叶えるため、鷹通はまさに不眠不休の努力を重ねた。
年明けから延々と続く宮中行事をつつがなく執り行うため、年内に済ませるべき業務は多い。
衣を改めに邸に帰る以外はひたすら内裏に詰め、ようやく丸一日の「物忌み」を勝ち取ることができた。
久々に自邸で仮眠を取り、あかねに心配されない程度に隈が消えたのを確認すると、土御門へと車を向ける。
実にほぼひと月ぶりの訪問。
文だけは交わしていたものの、不実をなじられても仕方のない不在期間だった。
「……あかね殿は怒っておいでだろうか? いや、悲しんでおられるよりはそのほうがましだ」
牛車の中で、鷹通はあかねから送られた文を読み直した。
一通ごとに筆遣いは流麗になり、彼女の不断の努力が伝わってくる。
友雅や永泉が頻繁に訪ねてくれること、時折やってくるイノリや泰明との話が楽しいこと、頼久がいつもさり気ない気遣いをしてくれること……。
無沙汰を詫びる自分を安心させるため、あかねが書き連ねる言葉がチクチクと心に刺さった。
一番そばにいるべき自分が、一番彼女を慰めることができない。
私が選ばれたのは、やはり間違いだったのではないか……。
どん底まで気持ちが落ち込んだところで、牛車が土御門に到着した。
鷹通は別れ話の覚悟まで胸に抱きながら、通いなれたあかねの局へと歩を進めたのだった。
* * *
「いらっしゃいませ、鷹通殿。お義姉さまが首を長くしてお待ちですわ」
局の手前で、藤姫がにこやかに迎えてくれた。
左大臣家の養女となったあかねは、藤姫の義姉ということになる。
「お邪魔いたします、藤姫。その……あかね殿はご健勝でいらっしゃいますか」
「まあ、鷹通殿、すぐにお会いになれるのですから、ご自分の目でお確かめになってくださいませ」
鈴を転がすような声で笑われて、鷹通の肩から少し力が抜けた。
八葉として通った懐かしい日々。
この世界のどこよりも、あかねを預けるのに相応しい場所。
「確かに、そうですね」
藤姫と笑みを交わすと、鷹通は簀子縁をたどる。
局の御簾はあらかじめ巻き上げられていた。
近づくにつれ、十二単姿のあかねの横顔が見えてくる。
そのとき、不意に聞き覚えのある笛の音が流れ出した。
「……これは……永泉さま…?」
少し遅れて琵琶と、琴の音が続く。
弾いていたのは友雅と、あかねだった。
「……!!」
「さあ、鷹通殿、こちらにどうぞ」
藤姫に上座に導かれ、鷹通は美しく優雅な奏者たちの正面に腰を下ろした。
永泉の奏でる澄み切った笛の音が、御簾を、几帳を、高欄を軽やかに巡る。
友雅の弾く琵琶は、奏者の性格を表すように、遊び心に満ちた音色を響かせる。
そして誰よりも真剣な顔で、琴の弦を爪弾いているのは、あかね。
最愛の人は、いつの間にここまで上達したのかと思わせるほど、見事に楽を奏でていた。
最後の音が空に消え、あかねがこちらを見て微笑んでも、鷹通はしばらく声を出せなかった。
「……鷹通さん……?」
あかねの声に混じる不安に気づき、鷹通はあわてて口を開いた。
「す、素晴らしい演奏でした。お聞かせいただいてありがとうございます。ですが、いったいこれは、なぜ…?」
永泉や友雅と顔を見合わせると、あかねは膝で鷹通の前に進み、指をついて丁寧に頭を下げた。
「鷹通さん、お誕生日おめでとうございます」
「……誕……生日……?」
「前に教えられただろう? あかね殿の世界では、生まれた日を盛大に祝うのだと」
友雅に言われて、鷹通はようやく事態を把握した。
これは自分のための宴なのだと。
「神子が、鷹通殿への贈り物に楽を奏じたいとおっしゃられたので、微力ながらわたくしと友雅殿でお手伝いをして参りました」
永泉がはにかみながら言う。
「なかなか教え甲斐のある優秀な弟子だったよ。何せ、自分がちゃんとこの世界でやっていけることを、君に楽の音で伝えたいと言うのだから」
「と、友雅さん、それは言わなくてもいいです!」
頬を染めたあかねが、友雅に食って掛かった。
自分が宮中で一人で戦っているつもりでいたとき、彼女は鷹通のことを思いやり、日々努力し、こんなにも見事な成果を挙げていたのだ……。
「……やはり」
鷹通は噛み締めるようにゆっくりと口を開いた。
あかねが不思議そうに彼を見上げる。
「鷹通さん……?」
「やはりあなたは、私には過ぎた方です……」
「……え?」
あかねの手を取り、鷹通は両手で包み込む。
「あなたに釣り合う人間になれるまで、もう少しお待ちいただけますか? 長くお待たせしないよう、努力いたしますので」
「た、鷹通さん、いきなり何を……!」
真っ赤になった彼女を見つめながら、胸に湧き上がるのは限りない愛おしさと幸福感。
二人きりならきっと、抱きしめて口付けていただろう。
咳払いが聞こえ、友雅が口を開いた。
「せっかく練習したので、もう一曲聴いてもらってもかまわないかな、鷹通」
「はい、もちろんです。謹んで拝聴いたします」
「もうすぐイノリ殿や泰明殿もお着きになられますわ。頼久、あなたも宴には出てくださいね」
藤姫の言葉に、高欄の向こうで警護していた頼久が
「もったいのうございます」
と頭を下げた。
あのころと同じように、今も八葉たちがあかねを守っている。
だが、だからこそそれに甘えることなく、あかねを守る力をつけたい。
ひたむきに弦を弾く愛しい人を見守りながら、鷹通は強く思っていた。
鷹通が自邸を構え、あかねを北の方として迎えることになるのは、もう少し先のこと。
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