First & Last ( 2 / 2 )
腕を掴まれたと思った次の瞬間、唇をふさがれていた。
動作は乱暴だったが、重なった唇は意外なほど柔らかく、温かい。
口づけた柚木のほうの目にも、驚きが浮かんでいる。
お互いに見つめあったまま数秒。
ドン!と香穂子が柚木の胸を勢いよく突いて、ようやく唇が離れた。
自分の唇を手の甲で軽く拭くと、柚木が吐き出すように言う。
「……余計な口をきいた罰だ。残念だったな、好きな奴とじゃなくて」
「!!」
香穂子の頬に朱が上り、同時に涙がポロポロとこぼれ出す。
「泣くほどのことじゃない! …別に、減るものでもない…」
後半は目をそらしながら、柚木が言った。
香穂子はその横顔を無言で見つめ、たまらなくなって両手で顔を覆う。
肩を大きく震わせ、ついにその場にしゃがみ込んでしまった。
「……日野」
しばらく後、少しためらいがちな柚木の声が頭上から聞こえた。
「日野」
呼び掛ける声が近づく。
身を屈めているのだろう。
溜め息の後、肩に手が置かれる。
「いつまで泣くつもりだ? おまえ、俺に失礼だぞ」
いつもより、声が柔らかかった。
「……そんなに……夢を持っていたのか? ファーストキスに」
そう言われて、香穂子は頭を左右に振る。
実際、自分がなぜ泣いているのか、よくわからなかった。
「ほら…立てよ」
肩に手を回されて、立ち上がらされる。
それでも涙が止まらない。
俯いたまま泣き続ける。
「もう泣くな」
耳元で囁かれた。
目尻に唇がそっと触れる。
髪が静かに梳かれる。
彼に抱き締められているのだと、遅まきながら気づいた。
びっくりして目を上げると、驚くほど優しい瞳が見つめていた。
「おまえだけ泣くのは反則だ。俺だって…初めてだったんだから」
「…え…?」
ちょっと照れたように目をそらすと、香穂子の頬にキスをした。
「俺を好きになればいい。そうすれば、夢は叶うだろう?」
「ゆ、柚木先輩……」
もう一度顎に手を添えられ、優しく口づけられる。
今度は自然と、瞼が閉じた。
「…香穂子」
口づけの合間に柚木が囁く声が聞こえる。
「ゆの…」
「俺を…好きになれよ…」
再び唇をふさがれる。
(……これじゃ返事できない…)
うっすらと目を開けると、柚木の伏せた長い睫毛がすぐそばに見えた。
寂しがりやで、強がりで、誰よりもつらい想いを背負っていて、優雅に微笑みながら心で血を流している……。
(…私はこの人が好き……)
香穂子は自分の想いにようやく気づいた。
「おまえを……好きだから…」
かすかな声が聞こえる。
自分を鎧で覆い、誰にも本当の気持ちを伝えられなかったこの人の、泣ける場所になりたい。
笑って、意地悪を言って、自慢したり、気弱になったり、そんな、本物の感情をぶつけられる相手になりたい。
柚木の背中に回した手に、ギュッと力を込める。
「……香穂子…?」
「……好き……です。柚木先輩……」
はっと息を呑む声が聞こえた。
あんなに自信過剰なのに、一方ではこんなに怯えている。
「おまえ…」
「本当の先輩が好き…。意地悪で性格曲がってて、おっかなくて気が許せないけど、大好き……」
しばらく沈黙があった。
「たいした言われようだな…」
「われながら、おかしな好みだと思います」
「………」
黙って、香穂子の髪に指をからめる。
「……世界広しと言えども、素の俺が好きなんて言う奴はおまえぐらいだ…」
「そんなことないです」
「おまえだけでいい」
思わず顔を上げると、泣きそうな微笑みを浮かべた柚木と目が合った。
つられて、また涙があふれてくる。
「泣くなよ」
細くて長い指が、涙を拭う。
三度目のキスの後、もう一度ぎゅっと抱き締められ、耳元で囁かれた。
「俺のそばにいてくれ……香穂子」
こみあげる想いを必死で飲み込むと、香穂子は小さな声で答えた。
「…はい」
緑陰の小道で、一つになった影はいつまでも離れなかった。
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