夢路より

 



久々に爽やかな目覚めだった。

こんな気持ちになるのは、いったいどのくらいぶりだろう。

茵に起きあがると、将臣は大きく伸びをした。



……あいつ、何だか悩んでいるみたいだったな。

鈍感に見えて、意外に繊細なところがあるから。

いつも人のことばっかり考えて、損することも多くて……



「…………」



将臣は自分の手のひらをじっと見つめる。



そんなあいつが、俺も譲も大好きだった……。



「オルゴール?……懐中時計みたいだけど」

「お前にやるよ。クリスマスが近かったからな、プレゼント用に持ってきてたんだ。だから、 お前のものだ」

「大事にするね……」




ずっと心にひっかかっていたクリスマスプレゼントを、夢の中でようやく渡すことができた。

あれは、望美との本当の別れを意味するのだろうか。

ここに流されてきた当初、夢の中に現れるのは悲しそうな望美の顔、呼び声、流れの向こうに 消えていく姿だけだった。

いつしかそんな夢さえ見なくなり、望美と譲をこの世界で探すことをあきらめた。

二人が元の世界で無事にいるならそれでいい。

それが一番いい。

心に蓋をすると、この世界での自分の役割を果たすことに専心した。

本名さえも呼ばれることが少なくなった。



……オルゴールのメロディをまだ覚えているなんて、思わなかった。






「還内府殿、お目覚めでいらっしゃいますか」

控えめな声が御簾の外からかかる。

「お、経正、わりい、もうそんな時間か?」

「いえ、先ほど安芸より使いが参りまして。朝議の前に文に目を通していただいたほうがよろ しいかと」

「サンキュ。んじゃいつもの通訳、頼むわ」



三年の月日を経て、将臣はたいていの書状を読み書きできるようになっていた。

それでも、文書中に現れる耳慣れない表現や名称に戸惑うことは多い。

経正はそれを一つひとつ丁寧に説明し、将臣を助けていた。



「……気のせいかもしれませんが」

ひと通りの「通訳」を終えると、経正が微笑んだ。

「ん?」

「今朝はいつもより明るい顔をしておいでです」

「そうかあ? まあ、夢見がよかったからな」

「想い人でも出てきましたか?」

ズバリ言い当てられて、将臣は珍しく赤面した。

「つ、経正…!」

「図星でしたか。重衡殿が、還内府殿が女人に興味を示されないのは、想い人がいるからだろ うとおっしゃっていましたが」

「あいつらほどマメじゃねえだけだろうが!」



正室以外に数人の側室をもつのが当たり前のこの世界で、将臣は色恋事とは常に距離を置いてきた。

源氏の侵攻による事態の急変がそれを許さなかったとも言えるが、寵姫を伴って都を落ちた公達も多い。

今や平家の頂に立ちながら、身近に女性を置かない還内府は奇異な目で見られることさえあった。



「それで、どのような方なのですか? 内府殿がそれほど想われる姫ならば、さぞかし美しい方なのでしょう」

経正のゆったりとした問い掛けに促されて、将臣は口を開く。

「『姫』とかそんな大げさなもんじゃないさ。どこにでもいる、本当に普通の……」



泣き顔

怒り顔

とびきりの笑顔



ともに過ごした日々、すぐ隣で見てきたさまざまな表情が鮮やかによみがえる。

忘れられるはずなどなかった。

三年という月日を経てもなお、溢れ出る愛おしさに胸が締め付けられる。



望美……



「将臣くん、すごいんだね。うん、将臣くんを信じるよ」



今朝方の夢の中の望美があまりに生き生きとしていたので、久しく閉じ込めていた想いが暴れ 出したらしい。

ぐっと抑えつけるように目を閉じると、

「別れる前に想いを伝えることができなかった。たとえ断られても、伝えればよかった。俺のただ一つの後悔がそれだ」

と、搾り出すように一言。

黙って聞いていた経正は、

「ためらわれるとは、還内府殿らしくないですね」

と穏やかに笑った。



「まあ確かに、俺一人だったらとっくに言ってたかもな。だが、俺の弟が……一つ違いの弟が同じ相手に夢中だったから、何て言うか……居心地が悪くてな」

「どちらの方も大切に思われているからでしょう。そこは、とてもあなたらしいと思います」

「俺はお前ほど弟思いじゃないぜ」

苦笑すると、将臣は大きく腕を振って立ち上がった。



「さあ、何とか京に潜り込んで、あの大天狗に会う算段をつけなきゃな。義経が義仲を討った後の勢力図がいまひとつはっきりしない。まあ、どうせ得意の二枚舌外交をやってるんだろうが」

「摂関家が源氏を推しているという噂も聞きます。木曾と違って京育ちの義経なら与(くみ)しやすいと考えているのかもしれません」

「たく、怨霊よりも性質(たち)の悪い魑魅魍魎どもだな」



将臣は安芸から届いた書状を携えると、帝や清盛の待つ棟へと続く簀子縁を大股でたどった。

角を曲がるときに振り向くと、経正が透廊の途中に立ち止まっているのが見えた。

「経正?」

あわてて走り寄る。

「どうした? 具合でも悪いのか?」

「いえ、ただ……私にはあなたのご気性が三年前と変わったようには見えないので……」

「…?」

「……今、再びその想い人と会われたとしても、傍らに弟君がいらしたら、当時と同じ葛藤を抱えることになるのではないかと」

「!! まったく、何を考えているのかと思えば!」

大げさにため息をつくと、将臣は経正の背中をバン!と叩いた。

「『もしも』の話くらい俺に夢を見させろ!」

「申し訳ございません」



早咲きの桜がほころび始めた庭を横目に、再び「朝議」の場となる御座所へと足を向ける。

あの桜が満開になるまでに、京に潜入しなければならない。

法皇の真意を探り、和平の道を開かねばならない。

歴史に刻まれた「平家の滅亡」という運命を、覆すのが俺の役割だ。

だから、望美、それまではお前のことを、もう一度胸の中に閉じ込めさせてくれ。



どこか遠くで、オルゴールの旋律が聞こえたような気がした。






 

 
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