油断のならない男 ( 1 / 2 )

 



「今日って翡翠さんのお誕生日なんですよ!」

激務の日々をようやく乗り越え、久々に訪れた四条の邸で花梨にそう言われた幸鷹は、白湯を飲む手を止めた。

「……誕生日」

「だからお祝いしようと思って! 翡翠さん、今ちょうど京に来てるし!」

無言で椀を置くと、反論を許さない1000ワットの笑顔から無意識に目をそらした。

「……神子殿、しかし翡翠殿はこちらの世界の人間ですから、誕生日など意識したこともないでしょうし、祝われても戸惑うだけでしょう」

「……幸鷹さん、本音言ってませんよね?」

「え?」

視線を戻すと、花梨が大きな目をいたずらっぽく輝かせていた。



「だって建前を言うとき、私のことを神子殿って呼ぶじゃないですか」

「え? いえ、これはついうっかり……」

百鬼夜行との決戦の後、京に残ることを決意した花梨は、幸鷹の許婚となっていた。

中納言と検非違使別当の忙しい執務の合間を縫って、幸鷹は新しい邸を整え、着々と妻を迎える準備をしている。

最近ようやく、「花梨殿」という呼び方にも慣れてきたのだが。



「ちゃんと幸鷹さんの本当の気持ちを聞かせてください!」

「花梨殿」

「だって私たちはこれからずっと一緒にいるんでしょう? 隠しごとなんかしてほしくないんです」

ごくごくまっとうな申し出だった。

そもそも元八葉である自分に、このまっすぐな眼差しを拒めるはずもなく……。

「……あの男は危険なのです」

幸鷹はようやく声を絞り出した。

「え?」

「あなたは気づいていなかったかもしれませんが、あの決戦の後、翡翠はすぐにでもあなたを伊予に攫って行くつもりだったと思います」

「ええっ?! まさか~!」

ケラケラ笑いながら幸鷹の背中を叩く花梨に、心の中でため息をつく。

こんなに無防備な女性(ひと)だからこそ、余計にあの男を近づけたくないのだ。



「第一、翡翠さんから見れば私なんて子供もいいところですよ~!」

「花梨殿、世の中にはロリコンという種類の人間もいて」

「意味はわからないが、君がロクなことを言っていないのはわかるよ、別当殿」

微笑み交じりの深く響く声が聞こえた。

幸鷹は両手で頭を抱える。



「翡翠さん! いらっしゃい!!」

「やあ、白菊。お招きありがとう。この無粋な男に知らせずに私を呼ぶとは、君もやるね」

片目を閉じて艶やかに笑う。

憎らしいほど余裕に溢れた態度で、翡翠は御簾をくぐり、局に入ってきた。

確かにここは四条の邸で、誰を招くか決める権利は花梨にある。

だがよりによってこの海賊を、未来の夫に相談もせず、いきなり局に招くなど…!!

「もうすぐほかの八葉のみんなも来ますよ! 今日は翡翠さんのお誕生日を祝う宴ですから」

その瞬間、眉を曇らせる幸鷹と明るい笑顔の翡翠の表情が見事に入れ替わった。

「みんな……?」

「ああ、それはいいお考えです、花梨殿!」



「前にやったことがあるって聞いたから、持ち寄りパーティにしてみたんですけど」

「「えっ?!」」

「好きな食べ物を持ってきてねって。いつの間にそんな楽しいことしてたんですか? 私も仲間に入りたかったな~」

二人の脳裏に、あの悪夢のような寄せ鍋会が蘇った。

(あなたをあの闇鍋から救うためにどれほど苦労したか!!)

という言葉はぐっと飲み込んで、幸鷹は翡翠に微笑みかける。

「大丈夫です、翡翠殿。今の季節、鍋はあり得ません。材料が混じり合いさえしなければ、あの折の食材はどれもそれなりの味だったのですから」

「別当殿、本音を言ってくれまいか」

「たとえ大変なものが持ち込まれても、主役のあなただけが食せばよいのですから」

「なるほど、わかりやすい」



「案ずるな。皆に行きわたるだけの量はある」

突然間近で聞こえた声に、二人の白虎は思わず飛びのき、得物を構えた。

もちろん、花梨を守る態勢で。

「うわあ、泰継さん! その大きな甕、いったい何ですか?!」

二人の肩のすきまから顔を出した花梨が、驚きの声を上げる。

簀の子縁に立つ泰継が背に負っている甕が、あまりに巨大だったからだ。

「神子、答える前に下ろしていいだろうか」

よく見ると全身がぷるぷると震えている。

「あ! 泰継殿、お手伝いいたします!」

「相変わらず、加減と言うものを知らない御仁だ」

口ぐちに言いながら、幸鷹と翡翠は甕を下ろす手助けをした。

二人で支えてさえ、よろけそうな重量。

いったい何を入れてきたのやら……。

闇鍋事件のとき、イモリの黒焼きを持ってきた最要注意人物だけに、翡翠の額に一筋汗が流れる。

「別当殿、さすがにこれを私一人でいただくわけにはいくまい?」

「いざとなれば、私が偶然を装って甕を割ります!」



二人が不穏な話をこそこそしている間に、ほかの八葉たちが続々と到着した。

「翡翠、千歳が太鼓判を押した霊験あらたかなご神水だぜ。目指せ、不老長寿ってな」

「あ、あの、わたくしは干したナツメの実をお持ちいたしました。古来より身体にいいと聞きますので」

「僕からは菊花の香を。食べ物でなくて申し訳ありませんが、長寿を約束すると言われていますから」

「オレはタケノコ持ってきたぜ。うまいもん食えば寿命も延びるってな!」

「……酒です」



「……………」

勝真、泉水、彰紋、イサト、頼忠……。

彼らが自分の前に次々と積み上げる「プレゼント」を見て、翡翠は黙りこんだ。

傍らで見ていた幸鷹が、たまらずに笑い出す。

「ははは、翡翠殿、皆の気持ち、ありがたくお受け取りにならねば」

「別当殿、喜びすぎだ」

「? 私、よくわからないんですけど……」

不思議そうに見上げる花梨に、翡翠は苦笑した。

「どうやら皆は、私を翁(おきな)扱いしたいようだ。まあ、一番年長であることは認めるがね」

「いや、それはわた…」

事態を混乱させそうな発言を泰継がする前に、花梨が口を開く。

「そんなことないですよ! 私の世界では翡翠さんの歳なんてまだまだ若手です!」

「まあ……平均寿命が70歳を軽く超える世界ですからね」

「平均寿命?」

幸鷹のつぶやきに翡翠が反応した。

「すべての民の半分が70歳よりも長く生きるという意味です」

「それはまた。仙境のごとしだね」



「神子さま、皆様もおそろいになられたことですし、そろそろ宴を始められてはいかがでしょう?」

膳を掲げた女房たちを従えて、紫姫が顔を出した。

「あ! 待たせちゃってごめんね、紫姫!」

「いいえ、わたくしこそ急かせてしまって申し訳ございません。皆さまからいただいたものは、調理ができ次第こちらにお持ちいたしますね。ええと……泰継殿の甕はどういたしましょう?」

「捨て置いて問題ない。宴の最後に皆にふるまう」

泰継の言葉に、花梨以外の全員が青ざめた。

「み、皆ってオレたち全員ってことか?!」

「疑いなく、そのようですね」

「ああ、せめて神子だけはお守りしなければ…!」

朱雀の二人と泉水は、悲壮な決意を確かめ合ったのだった。