遙かゆかりのスポット巡り

『遙か3』朱雀コンビ特集

比叡山延暦寺(滋賀県大津市)



最澄(伝教大師)が開いた天台宗の総本山にして、長く一大政治勢力でもあった比叡山延暦寺
平清盛の父とも噂される白河法皇が「思いどおりにならないもの」の一つとして、この寺の僧兵(山法師)を挙げたほど、彼らは恐れられていました。

僧兵たちが得意としたのは強訴(ごうそ)。
神輿(みこし)を先頭に山を駆け下り、内裏にまでなだれ込んで自分たちの訴えを通したそうです。
帝といえども神輿には平伏しなければならないため、この強訴の効き目は絶大でした。

この寺で僧兵をしていた弁慶さんは、自分で「荒法師」を名乗るほどヤンチャ(?)だったらしいので、強訴はもちろん、いろいろな名目で都まで降りて行ったんでしょうね。

延暦寺の中には「弁慶のにない堂」(上)や「弁慶水」(下左)など、所縁を感じさせるスポットがいくつかあります。
にない堂は、阿弥陀如来を本尊とする常行堂(左)と普賢菩薩を本尊とする法華堂(右)をつなぐ廊下に、弁慶が肩を入れて担ったという言い伝えからついた名前。
弁慶水は、修業中の弁慶がここで千日間水を汲んで、山王院(下右)参籠したことにちなんでいるとか。

  

比叡山は大きく「東塔」「西塔」「横川」の三塔に分かれていますが、にない堂があるのは西塔
ここにはほかに、転法輪堂(下左)と浄土院(下右)があります。

転法輪堂は釈迦如来を本尊とするため釈迦堂とも呼ばれ、延暦寺最古のお堂(1347年ごろ建立)。
もともとは園城寺(三井寺)の金堂であったものを、豊臣秀吉の命で移築したそうです。
浄土院には最澄(伝教大師)の御廟があり、今でも僧侶が生身の大師に仕えるがごとく奉仕しています。    
 
  

一方、東塔には三塔の中で最大の仏堂、根本中堂(下左)と大講堂(下右)があります。
根本中堂最澄によって788年に創建され、その後何度も火災に遭って、現在のお堂は徳川家光の命で1642年に竣工したものだそうです。
大講堂は僧侶が学問研究のために論議する道場で、現在の建物は1964年に山麓坂本の讃仏堂を移築したものだとか。

なにせ延暦寺織田信長に焼き討ちされていますから、それ以前から残っている建物はほとんどないのです。
 
全国各地に数え切れないほど多くの伝説や伝承を残しながら、弁慶はいまだに実在が疑われる人物だとか。
でも、『遙か3』弁慶さんなら、熊野別当の弟として京や比叡山、その他の勢力の動きを探るために延暦寺に入り、後に平家に薬師として仕え、やがて九郎さんと行動を共にするようになった……と考えられますね。