遙かゆかりのスポット巡り

敦盛さんお誕生日おめでとう!特集

平家物語歴史館(香川県高松市)

 
屋島からほど近い高松港の埠頭に建てられているのが、ろう人形館「平家物語歴史館」
日本一の規模を誇る館内には、『平家物語』の名場面が300体以上の人形を使って再現されています。

上は一ノ谷の合戦の際の、平敦盛熊谷直実の一騎打ち。
直実が、倒れた敦盛の首を取るため刀を抜こうとしているところです。
この後、兜の下の顔を見てその若さと美しさに驚いた直実は……という話になります⇒詳しくはこちら

敦盛さん
が16歳にしてはちょっと老けてるのは大目に見てください。

 

平家物語歴史館の外観(上左)と、『平家物語』コーナーで最初に迎えてくれる展示「鵯越」(上右)。
等身大の人と馬がほとんど垂直の崖を降ってくる様子はものすごい迫力です。
こんな攻め方をされた平家側にちょっと同情……。
    
 

時代は少し戻って、平清盛平家一門勢揃いの場(上左)。この場面には、「平家に非ずんば人にあらず」というタイトルが付けられています。

ちなみにこう言ったと言われているのは、清盛の妻・時子の弟の平時忠
検非違使別当も務めたこの人物は、壇ノ浦の敗北後に義経に娘を嫁がせるなど独自の動きをして、平家の中心的人物であったにもかかわらず死罪を免れ、能登に配流されました。

この場面にもいるはずなのですが、ううむ、清盛以外見分けがつかん。
重盛さん知盛さんとかもいるはずです(館内にはちゃんと説明があります!)。

上右は「清盛の孫、摂政・基房を辱める」
ちょっと長くなりますが、これも有名なエピソードなので紹介しておきます。

摂政である藤原基房は、参内する途中、平重盛の子・資盛と鉢合わせる。
その際、資盛が下馬の礼を取らなかったため、基房の従者たちは彼を馬から引きずり下ろし、辱めた。
これに激怒した清盛は300騎の武者に基房の車列を襲わせ、従者たちの髻(もとどり)を切り落とし、基房の牛車の簾を引き剥がすなどの報復を行った。


この報復の様子が上の写真です。
『平家物語』では、重盛がこの報復に加担した武士たちを勘当し、息子も謹慎させた……とされていますが、実際には報復を行ったのが重盛だったとも言われ、真相は不明です。

 

上左は「清盛、高熱を出して死去」。ここから平家の栄光に翳りが出始めます。

多くの戦死者を出した一ノ谷の合戦を経て、舞台は屋島へ。
このろう人形館のある地元ですので、当然、那須与一のシーンも再現されています(上右)。
扇を掲げた玉虫前がちょっと不細工だったのが残念でした……(よってトリミングでカット)
 
そして、壇ノ浦で平家一門は最期を迎えます。

義経に八艘飛びで逃げられた平家随一の猛将・平教経は、飛びかかってきた源氏の武将2人を両脇に抱え、「死出の山の供をせよ」ともろともに海に飛び込みました(上左)。

一方、二位ノ尼・時子安徳天皇「波の下にも都ありとは」と伝え、ともに入水します(上右)。


これまでさんざん絵画やドラマでは見てきたものの、やはり等身大の人形の迫力には驚きました。
ほかにもさまざまな場面が再現されていますので、屋島に行かれた際は、ぜひ立ち寄ってみてください!