遙かゆかりのスポット巡り

特別編「平家追悼」

平重衡とらわれの松兵庫県神戸市須磨区)



現在では松はなく、石碑のみが残っていますが、一の谷の合戦の際、ここで平重衡が捕われたと言われています。
傍らの案内板によると、捕虜となった重衡を憐れんだ近隣の住民がにごり酒を差し出したところ、大変喜んで

「ささほろや 波ここもとを打ちすぎて 須磨で飲むこそ濁り酒なれ」

という歌を詠んだとのこと。
詩歌に優れた平家の公達らしい伝承ですね。

重衡さんの人物像はかなり『遙か3』でも忠実に描かれていて、美しい容姿と知性・教養を備え、鎌倉に護送される道中でも、鎌倉到着の後も多くの人を感嘆させたとされています。
吉川英治作『新・平家物語』でも、かなりのページ数をこの公達の生涯に割いています。
重衡さんファンはぜひお読みください!

南都焼き打ちの責任を問う衆徒の要求に抗いきれず、源頼朝はついに彼を東大寺に引き渡し、平重衡は京都・木津川で処刑されました。
NHK大河ドラマ『義経』では、処刑直前に妻の輔子と再会を許されるシーンがあり、号泣ものでした(実際に再会したとも言われています)。

木津川市の安福寺に供養塔があるそうなので、ここにも一度出かけてみたいです。


さて、ここには本当に碑しか残っていないので、そばにある「綱敷天満宮」をご紹介。
  

天満宮というからには、当然祭神は菅原道真公ですが、一の谷に位置するため源平合戦に関する碑もいくつかありました。
右上は「一の谷合戦八百年記念の碑」
八百年ということは、1984年に建てられたんですね。

   
 

これは、須磨浦公園から鉢伏山にロープーウェイで上がったところからの景色です。
左上が現在の一の谷。右上が鉢伏山から明石海峡と明石大橋を見た所。

ちなみに須磨区の案内を見ると、義経逆落としを行ったのは一の谷と鉢伏山の間の鉄拐山から……ということになっていますが、「鵯越」という地名はもっとずっと東の街道を指すもの。
そのため、「一の谷という地名は、もっと鵯越側を指すのだ」という説と、「街道として用いられていたような場所からの奇襲は奇襲ではないから、本当の奇襲は鉄拐山から行われたのだ」という二説があります。

『遙か3』でも最初、鵯越からの奇襲を将臣くんに読まれて失敗し、上書き後に高尾山から逆落とししてますよね。
これって、両方の顔を立てたということだろうか……(笑)。