突然の幸せ

 

(なんで俺はこんなに冷静なんだろう)

廊下を歩きながら、自分に問いかけてみる。

物心ついたときから好きで好きで、その想いは狂おしいほどだった。

触れることもできず、ただ、この身をかけて守ろうと、それだけを自分に言い聞かせてきた女性。

その彼女が

(……それ以外の……理由は……嫌……)

頬を染めて、潤んだ瞳で言ってくれた。




なのに俺は、

(よかった。病気じゃなかったんだ。じゃあ、おなかも減ってるだろう)

(おかゆ、冷めちゃったな。少し火を通すか)

とか、そんなことばかり考えて、実際に今、廚に向かっている。




正しいリアクションは何だったんだ?

抱きしめるとか、キスするとか?

それはあまりに唐突だろう。

「ありがとうございます」?

礼を言うことなのか?

そういえば俺、先輩に何も言ってないな。

食事の心配ばっかりで。

ちゃんと伝わっていなかったらどうする?

まさかとは思うが、俺が断ったとか思われていたら。




さっきの会話をじっと思い出してみる。

いや、さすがにそれはないだろう。

いくらあの人がニブいといっても。




「…………」

廚の手前で、いきなり衝撃に打たれる。

「……え……、俺……」

想いが……通じた……?

受け入れて、もらえた……?

願っても、祈っても、決してかなわないと思っていた夢が……

現実になったのか……?




「…………」

「…………」

「…………」

おかゆを温めてる場合じゃないだろう!




器をその場に置き、廊下を駆け足で戻る。

俺が部屋に走り込むと、先輩は目を丸くした。

「譲くん……?」

それは驚くだろう。

なにせすごい勢いだ。

はあはあと息が弾む。

言わなきゃ。

ちゃんと言わなきゃ。

ごくんと生唾を飲み込んで、思い切って口を開いた。




「俺はあなたが好きです。好きでいてもかまわないんですか?」

「……!!」

先輩の顔が一気に赤くなった。

そして、

「私も譲くんが大好き。同じ気持ちならとってもうれしい」

と、夢でなく、幻でもなく、はにかみながら微笑んでくれた。

「……ほん……とう……に?」

「うん!」




多少おぼつかない足取りで、先輩に近づく。

ストンとその場に座り込むと、先輩の顔を見つめてからギュッと抱きしめた。

「……夢……じゃない……ですよね……」

声が震えている。

ようやく、この状況に現実感が出てきた。

腕の中の人は、大きくうなずくと答える。

「私は譲くんが大好きだよ。ずっと、ずっと一緒にいたい」

「……先輩……!!」

愛おしくて、うれしくて。

俺は完全に言葉を失った。




一生のうちでも最高の瞬間に、のんびり台所仕事をしようとしていたなんて。

何やってるんだ、俺。

いくらすぐには信じられないからって。

何を考えてるんだ、俺。

「譲くん?」

先輩が不思議そうに問いかけた。

「大丈夫?」

きれいな声が耳元で響く。

吐息さえも感じられる。

いえ、ちっとも大丈夫じゃないです。

もう、死んでもいいくらいに、幸せすぎて。

あまり黙り込んでいても悪いので、俺は体を起こした。

先輩の顔を見たくて。

これが本当のことだと確かめたくて。

目が合うと先輩は、いきなり真っ赤になった。

そしてしばらくあちこちに目を泳がせ、困ったような表情になる。

「?」

(顔が近すぎたかな?)

俺が体を離そうとすると、先輩は覚悟したように目蓋を閉じた。

「…………?」

「…………」

(……ええと…………)

この動作が意味することは……。




すぐそばにある答えが、なぜか見つけられない。

なのに身体が自然に動いた。

俺は少し顔を傾け、微かに震える先輩の唇に自分の唇を重ねる。

柔らかく、温かく、甘い感触。

その数秒後に、キスをしていることに気づいた。



* * *



「譲くんがあんまり冷静だから、ちょっと不安だったんだ」

しばらく後、先輩が頬を染めて言った。

「すみません。俺、なかなか実感が湧かなくて……」

頭をかきながら謝る。

実際、すごい時差があったわけで、われながら呆れてしまう。

「ううん。走ってきてくれて、すごくうれしかった」

花がほころぶような、ふわっとした微笑み。

俺はもう何十回目になるかわからないキスを唇に落とす。

「ゆ、譲くん、すぐキスするから話が進まないよ」

「先輩がかわいすぎるんです」

「……もう!」

バラ色の頬を軽く膨らませて、拗ねたように、でもうれしそうに俺を見上げる。

こんな表情、冷静に見ていられるわけがない。




今度は結構長い時間、話を中断させてしまった。

腕の中のかわいくて美しい人。

俺の夢。

「もう、譲くん、明日からちゃんと我慢できるの?」

「自信ありません」

「!」

だから今日、明日の分も、明後日の分もキスさせてください。

そう囁くと、また唇を重ねた。




たぶん、本当の実感がわくのはもっとずっと先なのかもしれない。

何百のキスと、あなたの微笑みと、腕の中のぬくもりを繰り返し感じてから。

愛しています。

まだ、俺たちには重すぎるかもしれない言葉を、心の中でつぶやく。

誰よりも、何よりも愛しています。

いったいいつごろ、あなたに伝えられるだろう。

そう思いながら、俺はもう一度、先輩をしっかりと抱きしめた。







 

 
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