突然の恋 ( 1 / 2 )

 



なぜこういうことは唐突に起きるのだろう。

朝方、夢の中で彼と会って、その笑顔がとてもまぶしく感じられて、言葉の一つひとつが胸に沁みて、目が覚めたときもまだ気持ちがふわふわしていた。

「……なんであんな夢、見たのかな?」

呟いてみても理由はわからない。



* * *



とにかく顔を洗おうと、単衣に小袖を羽織って井戸端に向かった。

普段はちゃんと着替えてから行くが、早く頭を冷やしたかったのだ。

はたして……。

井戸端に彼がいた。

「!!」

ドキンと胸が大きく高鳴ったのがわかる。




「おはようございます、先輩。……何かあったんですか?」

「……え…?」

微笑みかけられて、ぐんぐん顔の温度が上昇していく。

「自分で起きられたのは偉いですけど、そんな格好で出歩いちゃ……」

つるべを落として水を汲み、桶に移したところで私の顔色に気づいたらしい。

「!? 先輩! 熱があるんじゃないですか?!」

「ね…熱…?」




譲くんがいきなり近づいてきたので、顔がますます真っ赤になる。

額に手が当てられ、彼の瞳がすぐ目の前に迫った。

「……顔色ほどは高くないみたいだけど……風邪かな…?」

言葉など耳に入らない。

夢の中であらためて認識した、眼鏡の奥の長い睫毛、きれいな瞳、整った顔立ちに目が吸い付けられる。

「先輩?」

「……う、うん…」

「手、震えてますよ」

そう言って、私の手を両手で包む。




「とにかく、寝所に戻りましょう。歩けますか?」

「……………へ?」

「……わかりました。ちょっと我慢してください」

次の瞬間、彼に抱え上げられていた。

これまでも、ケガをしたり、体調が悪いときなど、こうして運んでもらったことはあったが、今日は意味が違う。

「☆?*+?!」

言葉が出ずにパクパクと口だけ動かす私を、ちょっと困ったように見ると、

「しっかりつかまっててください」

と、大きく揺すり上げる。




とっさにしがみついた私は、顔が近すぎて必死でうつむいた。

「……なんで今まで平気だったんだろう…」

「え?」

「な、なんでもないっ!」

軽々と私を邸まで運び、階のところで草履を脱がせると、そのまま寝所に入っていく。

「ゆ、譲くん、も、もう大丈…」

「大丈夫って感じじゃないですよ」

茵の上にゆっくりと下ろされ、衾を掛けられる。

「きっと疲れが出たんですね。九郎さんたちには俺から言っておきますから、今日は休んでください。…おかゆとか、温かい物なら食べられそうですか?」

コクンと無言でうなずく。

彼がにっこり笑った。

「じゃあ、後で運んできますね。…あ、朔に頼んだほうがいいですか?」

ブルンブルンと首を左右に振る。

「じゃあ俺が。とにかく眠ってください」




立ち上がる譲くんに、思わず手を伸ばした。

「譲くんっ!」

「…はい」

「あ、あの…」

伸ばした手をどうしていいかわからず、困っているとそっとつかまれた。

「あったかくしないと。大丈夫、すぐ治りますよ」

力づけるように軽く握り、衾の下に戻す。

私は、その手を離さなかった。

「…先輩?」

「…私……ずっとすごく……譲くんに助けてもらってきたよね…」

今まで気づかなかった自分が情けなくて、涙がにじんでくる。

「ど、どうしたんですか? 熱で心細くなったのかな」

私に手を取られたまま、譲くんが頬を染めた。




譲くんの手に頬を寄せて、目を閉じる。

「もうちょっと……一緒にいて」

「! ……そ、それは……あなたが望むなら……」

優しい声。

私は彼のこの声と、言葉にどれだけ励まされてきただろう。

いつも一番近くで、私を見つめ、気遣ってくれた人。

「……あのね…」

「はい…?」

手の甲にそっと唇でふれる。

「せ…!」

急に襲ってきた眠気が、私を包み込んだ。

唇は確かに、「すき」と動いたのだが……。



* * *



何か温かいものが頬に触れていた。

ゆっくりと意識が覚醒する。

ぼんやり目蓋を開くと、すぐそばから声がした。

「……目が覚めましたか?」

穏やかな笑顔。

「……譲…くん……?」

「よかった。顔色、普通になりましたね」

なぜ、彼が私の茵の隣で横になっているのか、理由を知りたくて視線を動かす。

彼の腕の伸びた先、その手のひらを私はしっかり握っていた。

「…!! ご、ごめんなさい、私…!!」

もしかして、このせいで譲くんはどこにも行けなかったんだろうか?

顔を真っ赤にして、あわてて手を離す。




「大丈夫ですよ。俺もウトウトしてたし」

彼は床の上に体を起こして、軽く肩を回した。

「しびれちゃったよね? そんな固いところで。本当にごめんね」

「そんな顔、しないでください」

譲くんがまぶしそうに笑う。

「先輩は、昔から熱を出したり病気になると、急に寂しがりやになりましたからね。俺と兄さんが見舞いにいって、帰っちゃ嫌だって泣かれたこともありました」

「う……」

確かに、そんなこともあった。

でも、今回は明らかに違う理由なんだけど。




「じゃあ今度こそ、何か食べるもの持ってきますね」

立ち上がる譲くんを見上げた私の表情は、どうやらかなり情けないものだったらしい。

くるっと引き返して、頭に手を置く。

「すぐに戻りますから。大丈夫。ちゃんと横になっていてください」

これ以上ない優しい声で言われて、コクンとうなずいた。

どうやら今の彼の目には私が小学生に映っているようだ。

実際、感情と表情のコントロールがつかなくて、ひどく心細い気分になっていた。

彼の足音が消えると、ポスッと茵に身を横たえる。




「大好き…だよ」

天井に向かって言ってみた。

「でも、私が告白することで何か変わるのかな…」

ごろんと横を向く。

「かえって、気を遣わせちゃうかな。幼なじみのままのほうが、譲くん、気が楽かな……」

自分が告白したら彼がどんな顔をするか、想像もつかなかった。

「譲くん、私、譲くんのこと好きなの…」

(え…?)

と真っ赤になり、

(な、何言ってるんですか、急に。俺たち、家族みたいなものじゃないですか)

と言われるパターン。

(先輩。きっと心細くなってるだけですよ。大丈夫、そんなこと言わなくても俺はそばにいますから)

と慰められるパターン。

「ううん、もっと悪いシナリオだってあり得るよ」




(…え……)

彼の顔が曇る。

(俺、そんなつもりで先輩のそばにいたわけじゃ…。一緒にあの世界に戻ろうって思ってたから)

気まずそうに目をそらす。

(少し、近づきすぎてたかもしれませんね。ちょっと離れるようにしましょうか)

「いや、譲くん! そんなの嫌!」

思わず起き上がって声に出す。

「譲くんが嫌なら、私、告白なんてしないよ。…今のままのほうがいいよ……」

そう…。

失うくらいなら今のままのほうが。

茵に両手をついて、がっくりと肩を落とす。

今朝方の明るくふわふわとした気持ちは跡形もなく消えていた。