七夕の願い ( 1 / 2 )

 



「ううう、暑いっ!!」

縁側の日陰で涼をとっていた望美が空に向かって叫んだ。

「先輩、大丈夫ですか? 井戸水でも汲んできましょうか」

簀子縁を渡ってきた譲が声をかける。

寒暖の調整がいっさいきかないこの時代において、井戸水だけは夏に冷たく、冬に温かくなるのだと学んだ。

人々は瓜を井戸の中に吊るして、冷蔵庫替わりに使ったりしている。

(しかしまさか、先輩を井戸の中に吊るすわけにもいかないしな……)

物騒なことを考えながら、望美の横に腰を下ろす。




「あ、譲くん、ごめんごめん。何か叫ばずにはいられなくて」

望美はぺろっと舌を出し、苦笑いした。

暑さに堪えかねたのだろう、長い髪は結い上げられている。

普段見えないうなじの白さが眩しかった。

眼鏡のブリッジを指で押し上げ、譲は意識的に目を逸らす。

「鎌倉は、日中どんなに暑くても、夕方には海風が吹きましたからね。
京はさすがに内陸部だけあって、そよとも吹かないな」

「ううう、こんなところに都を作る気がしれないよ……」

縁側にぺったりと望美が倒れ込んだ。




本格的な夏はまだこれからなのだが、それは言わないほうがいいだろう。

そう心に決めると、譲は縁側でゴロゴロしている望美に

「桂川にでも夕涼みに行きますか? 
風がなくても、水辺なら少しはしのぎやすいと思いますよ」

と声をかけた。



* * *



「本当だ! やっぱり涼しいね!」

「先輩! 足下に気をつけてください!」

望美が、夕涼みどころか、靴を脱いでジャブジャブと浅瀬に入っていってしまったので、譲は面食らっていた。

「大丈夫だよ! 譲くんも入ったら? 気持ちいいよ」

靴紐を結びあわせたスニーカーを、肩からぶら下げながら望美が言う。

(そういえば……)

鎌倉の浜辺でもよく、望美は波打ち際に裸足で入っていったものだった。

「ガキだな」とつぶやく将臣と、ヒヤヒヤする譲。

結局、三人とも靴を脱いで、しばらく水遊びに興じるのが常だった。




譲は決意したように靴を脱ぐと、望美のそばに歩み寄って行く。

「ね、譲くん。涼しいでしょ?」

「そうですね。海とはちょっと違う感覚だけど」

「あ、やっぱり譲くんも鎌倉を思い出してた?」

望美の笑顔に、ほんの少し影が差す。

いつも一緒だった人間が、今、ここにいない。

やっと再会できたのも束の間、風のように去ってしまった。

「……大丈夫ですよ、先輩。またきっと会えます」

譲に言われて、望美は目を丸くした。

「え、どうして? 譲くんには何でもわかっちゃうの?」

「だてに生まれたときから幼なじみをしてませんから」

「……そっか」と、照れたように望美が笑う。

近くにあるのに決して届かないものを、譲はそっと見つめた。

残照が川面を照らし、時折上がる水しぶきがキラキラと光る。

しばらく川の中を無言で歩いた後、「そろそろ帰らなきゃ、ね」と、望美が顔を上げた。




靴下と靴を履き直したころ、夕空には一番星が輝いていた。

二人で見上げていると、不意に望美が

「譲くんのお誕生日って、もうすぐだよね?」

と、問い掛けた。

「え? ああ、はい。そうです。
こちらはまだ6月だけど、俺たちの世界の暦だと、あと10日くらい……かな」

譲は指を折って確認しながら答える。

「そっか。じゃあ何かお祝……」

突然、望美の声が途切れた。

「先輩?」

固まっている望美に、譲が声を掛ける。

望美はガバッと顔を上げると

「じゃあ、今日は七夕?!」

と、うれしそうに言った。