バラの苑への誘い ( 1 / 2 )

 


「そうだわ、梓馬さん。あなたがお使いになってはいかが? お友達を招いて」

「誕生パーティは……兄と一緒に毎年大きなものを開いてもらっていますから」

「あら、でもそれは来月でしょう? ご自分だけの誕生日をお祝いなさいな」

目の前の婦人は、身を乗り出して柚木にそう勧めた。




土曜の昼下がり。

祖母が開いたホームパーティの会場には、柚木家の家業と密接な関わりがある、厳選された客が招かれていた。

この女性もその一人。

彼女の夫は資産家で、祖母とのつきあいも長い。

前から柚木を気に入っていたらしく、さっきからソファに座り込んで盛んに話しかけてくる。

心の中では溜息をつきながらも、柚木はにこやかに応対していた。

「お心遣い、ありがとうございます」




横浜が開港してまもなく建てられた瀟洒な洋館を、個人で所有しているのが彼女の自慢だ。

普段はプライベートウェディングや写真、ドラマの撮影に貸したり、私的なパーティ会場として提供しているが、数日間貸し切る予定だった撮影が突然キャンセルになったのだという。

「ドタキャン……と言うのかしら? 使用料はほとんど払っていただいたのだけれど、せっかくのいい季節に何日も使わないのは惜しいでしょう? この週末は梓馬さんのお誕生日なのだから、私からのプレゼントだと思っていただければ」

「いえ、柏木様にそこまでお気遣いいただくわけには」

何とかこの迷惑な申し出を断れないものかと、柚木が策を練っていると、

「あら、でも日曜日は避けていただける? 従業員に臨時のお休みをあげてしまったので」

と、彼女が言い出した。

千載一遇のチャンス。




「では、柏木様、その日にお邪魔させていただいてもよろしいですか?」

パワーを増した王子スマイルで、ここぞとばかりに微笑みかける。

「え? でもそれじゃあおもてなしが……」

頬を染めた柏木夫人が反論すると、柚木は彼女の手を取ってとどめを刺す。

「友人たちと庭をそぞろ歩かせていただければ十分ですので。前日に鍵をお預かりして、終わり次第柏木様のお宅に届けるようにしてもよろしいですか?」

「わたくしの家に? 梓馬さんが? まあ…! それは……素敵なご提案ね」

「ありがとうございます」




洋館と庭の茶室に、お茶の支度はしておくので……という彼女の提案をのむ形で、話し合いは終了した。

自室に戻ると、柚木は大きく息を吐く。

「まったく……! いい加減、迷惑だと気づいてもよさそうなものだろう」

乱暴にジャケットを脱ぎ、ネクタイを外すと、ドサッとベッドの上に倒れ込んだ。

疲れる。

祖母の指示で、子供のころからこういうパーティに何度出てきたことか。

大人たちの、本心を隠した微笑みやお世辞に応えつつ、完璧な柚木家の三男を演じなければならないプレッシャー。

あの手の場所では、食事の味がわかったことなど一度もない。

「……いじめたい」

思わず、虚空に向かってつぶやいていた。




たった一人、自分の正体を知っていて、怒ったり泣いたりわめいたりしながら、それでも本当の自分を見つめてくれる少女に。

「……疫病神で、人でなしで、……あと、何だって? まったく、人のことを好き放題言いやがって……」

そう言いながらも、口元には微笑みが浮かぶ。

会いたい。

話したい。

まん丸に見開いた瞳や、拗ねて赤くなった顔を見たい。

怒らせて、涙ぐませて……




「……!……」

不意に柚木はベッドの上に身体を起こした。

「庭にはたくさんバラを植えてあるの。さすがに盛りは過ぎたけれど、遅咲きのものはまだまだ楽しめるわよ」

自分の洋館について、柏木夫人が語った言葉。

「……なるほど。使えるじゃないか」

親衛隊の少女たちが一度も目にしたことがない黒い笑みを浮かべると、柚木は早速、思いついたばかりの策を吟味し始めた。



* * *



「うわあ、知りたくなかった!」

「え? どうしたの? 日野ちゃん」

いきなり頭を抱えた香穂子に、天羽が問いかけた。

報道部の部費稼ぎで行っている、校内のイケメン写真販売。

掲示板には、人気のある男子たちの写真がずらりと貼られている。

そこに添えられたプロフィールを見て、香穂子が座り込んでしまったのだ。

「何かショックなデータ、あったっけ?」

自分が掲示した情報を、天羽はあらためてチェックする。

「誕生日とか、星座とか、血液型とか、家族構成とか、身長・体重、趣味、得意教科とか、ごく普通だと思うけど」←

「誕生日よ! 柚木先輩の!」




言われてその項目を見ると、

6月18日生まれ

の文字。

「え~? もしかして今週末?」

「あ~ん! 知らなきゃ不可抗力でバックレたのに!」

落ち込む香穂子に天羽が意外そうに言った。

「あれ? 日野ちゃんってそんなに柚木先輩と親しかったっけ?」

「え? いや、でも、セレクションで一緒だし、なんかこのところ貰い物も多いし、やっぱりお礼くらい……」

「あ〜、でも私の取材によると、彼が好きな物ってことごとく高級品なんだよね〜」

取材ノートをパラパラめくりながら、天羽が言う。

「そりゃあそうでしょうとも。カツサンド一つですんだらどれだけ楽か……」

「カツサンド……も、悪くはないけどね」

突然、涼やかな声が響いた。




香穂子は再び頭を抱える。

振り向くまでもなく、声の主は話題の人物。

「ゆ、柚木先輩! ふ、普通科に何かご用でしょうか?!」

動揺しながら、天羽が何とか言葉を発した。

「突然、ごめんね。すごいな、こんな風に写真を売ってるなんて。ああ、日野さん、君に会いに来たんだから、そんな風に逃げないでくれるかな」

コソコソと教室の中に逃げ込もうとした香穂子に、しっかりと釘を刺す。




「一番人気は何と言っても柚木先輩ですよ! 親衛隊の人たちが3枚ずつ買っていきますから。保管用と観賞用と、……あと何だろう?」

「ふふふ、まあ、報道部のお役に立てているなら何よりだけどね」

柚木がまぶしいほどの微笑みを浮かべる。

天羽は(今度取材するときにはサングラスをかけよう)と思うのだった。




「柚木先輩がプロになったら、CDとかよりもDVDを出したほうがいいと思いますよ! 飛ぶように売れるんじゃないかな。あ、それとも写真集付きのCDにするとか!」

「音楽をやる人間にとっては、確かにDVDのほうが勉強になるからね。でも、僕は音楽家になる予定はないから、残念ながらご要望には応えられないな」

「え……そうなんですか」

「あ、天羽さん、柚木先輩、私に用があるみたいだから」

香穂子が割って入った。

以前もそうだったが、この話題になると柚木の目の中に確実に暗い影が宿る。

本人は気づいていないのだろうが、その表情は香穂子の胸を刺し、痛みを感じさせた。