親鳥 ( 1 / 2 )
清水の舞台から飛び降りるような決意で買った超高級チョコレート。
宝石箱と見紛うパッケージを、譲の長い指が丁寧に開いていく。
その様子を、望美は息を詰めて見つめていた。
夕刻の有川家。
家の中にいるのは、譲と望美の二人だけだ。
つきあいだして初めてのバレンタインデーに「特別」を贈りたいと、お小遣いをかき集めて買ったプレゼント。
カタリと軽い音がして、箱の蓋が開いた。
カカオの芳香とともに姿を現したチョコレートの形は意外にシンプル。
それだけにとてつもないポテンシャルを秘めているように思える。
「……先輩、本当にいいんですか?」
「当たり前だよ! 譲くんのために買ったんだから!」
望美に促されて、譲は一粒、口に運ぶ。
豊かさと上品さを兼ね備えた、滑らかで濃厚な口あたり。
一粒で板チョコを何枚も買える値段だけあって、まるで短い音楽を鑑賞するような充実した味わいだった。
「………おいしいです」
「本当? よかった〜!!
私、譲くんみたいに手作りできないから、こういう風に頑張るしかなくて」
ニコニコと笑う望美を、譲は申し訳なさそうに見る。
「すみません、先輩に無理させちゃって」
「無理なんかじゃないよ!
譲くんに喜んでもらえるのが一番うれしいもん」
譲が、一気に赤くなった。
照れ隠しに眼鏡のブリッジに手をやると、望美に箱を差し出す。
「……じ、じゃあ、先輩もどうぞ」
「へ?」
「チョコレート。まだ食べてないんでしょう?」
「!」
確かに、このお店のチョコは高すぎて、「自分用にも1パック」などと気軽に買うことはできない。
「すごくおいしい」という評判だけを頼りに購入したのだ。
その評判は、幸い正しかったようだが。
「だ、駄目だよ! これは譲くんにプレゼントしたんだから」
「俺は、先輩にも味わってもらいたいんです。
すごくおいしいからこそ!」
残りはほんの2粒。
「だって、これ、みんな味が違うんだよ。
私、譲くんに全部食べてもらいたい」
「………」
譲はしばらく考え込むと、ひとつため息をついた。
「……わかりました。
じゃあ、先輩は嫌かもしれないけど」
「?」
「半分ずつ食べましょう。
こんなに小さいと、割ったり切ったりできないから、
俺が先にかじらせてもらいます」
「えっ?!! で、でも…!!!」
焦った望美をまっすぐ見据えて、譲は断言する。
「これは俺がもらったものでしょう?
だから、自分で味わった残りをどうするかも、俺が決めていいはずです」
「え、で、でも、その…!!!」
さらに焦りまくる望美を横目に、次の一粒をそっとかじる。
「うわ……これ、スパイスがきいていますよ。
唐辛子とかが入っていますね。こういう組み合わせもあるんだな。
今度何かで試してみよう」
「はい」と、譲が控えめにかじったチョコレートを差し出す。
望美は真っ赤になって、目を白黒させながら受け取ると、口に放り込んだ。
「ね? 面白い味でしょう?」
「う、…うん…」
さらに顔の赤みが増す。
「こっちは……あ、中が生っぽいな。
すみません、ちょっと形が崩れちゃったから」
と、直接口元に持ってこられて、望美はもうパニック寸前だった。
「先輩?」
「あ〜、あ〜、い、いただきます!!」
思い切ってパクリと口に含む。
譲の指が唇に触れて、その感触に、最後の堰が決壊した。
「私、帰る〜!!」
「え?!」
突然立ち上がって、玄関に突進していく望美を、譲は呆然と見送った。
「……やっぱり半分じゃ……足りなかったかな……」
* * *
「もう〜!!! 譲くんの鈍感!!!」
壁にクッションを投げつけて望美は叫んだ。
自分の部屋に戻ってからも、いっこうに顔の温度が下がらない。
息がかかるような至近距離で、譲の口にしたチョコレートを食べさせられて、長い睫毛や澄んだ瞳までドアップで見せられて、
「あ、あんなのキスしてるのと変わらないじゃない!!」
自分で言って、自分の言葉にさらに顔が赤くなった。
刺激が強すぎる。
ある意味、キスよりもずっとずっと(まだしたことないけど)。
「もう〜、譲くんって、どうでもいいときにはすぐ真っ赤になるのに、なんで食べ物が絡むとお母さんモードになっちゃうのかな〜」
望美の脳裏に、雛に餌をやる眼鏡をかけた親鳥が浮かんだ。
絶対そういうつもりに違いない。
譲にとって、望美は常にピーピー口を開けて待っている雛鳥なのだ。
突然携帯が鳴り出した。
望美はビクッと飛び上がる。
このメロディーは間違いなく譲。
おそるおそる通話ボタンを押すと、とても心配そうな声が流れ出した。
「先輩、すみません。
でも、さっき俺のほうのチョコ、渡し損ねたんで……」
「え、う、あ、うん。
わ、私こそごめん。急に帰って」
望美の言葉に、譲がほっと一息ついたのがわかった。
「いえ。半端なことしちゃってすみませんでした。
さすがにあのチョコほどおいしくはないけど、たっぷり作りましたから。
今から持っていってもいいですか?」
「…………もしかして、チョコが足りなくて癇癪を起こした……とか思ってる?」
「い、いえ、そんなことは……!
でも、多い分には問題ないでしょう?」
(やっぱり思ってるよ……)
望美はがっくりと肩を落とした。
「……わかった。玄関で待ってる」
「……?!」
何か言いたげな譲を無視して、携帯を切る。
(あ〜あ、バレンタインってもっとロマンチックなものだと思ってたのに、それもこれも私がガサツだからいけないのかなあ……)
とぼとぼと階段を下りて、玄関に向かった。
チェーンを外すのと同時にチャイムが鳴る。
「あ、譲くん、いらっしゃ〜い」
ドアを開けて顔を出すと、譲がシャキンと背筋を伸ばした。
「お、お邪魔します」
「今、誰もいないから。どうぞどうぞ」
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