忍人さんのお誕生日

 



「……誕生日?」

「その人が生まれた日、です。忍人さんは21日生まれでしょう?」

忍人は目を閉じると、長いため息を吐いた。

「……多分。そうだったと思う」

「私のいた世界では、とても大切な日なんですよ。家族や友だちが、みんなでお祝いするんです」

忍人から押し付けられた上着にくるまりながら、千尋がうれしそうに微笑む。

「だからと言って、こんな夜中に。しかも一人で……」




時刻は21日へと日付が変わる直前。

場所は橿原宮にある忍人の私室。

すでに国を統べる王となった人間が、風早に送られてとはいえ、やってきていい時間でも場所でもない。

どこから注意すべきなのかと、忍人は眉間に手を当てた。

「忍人さん……? 具合が悪いんですか?!」

途端に千尋は顔色を変える。

「い、いや」

「でも!」

「……正確には、頭が痛い……が」

「遠夜を……!」

部屋から飛び出そうとする千尋の手首をしっかりと握って止めた。




「落ち着け、千尋。俺は君の行動に頭が痛くなっただけだ。遠夜に治せる類いのものではない」

「…………はい」

言葉をゆっくりと噛み締めた後、気が抜けたようにストンと座る。

その様子を見て、忍人は思わずクスリと笑った。

「……まったく。君には調子を狂わされる」

「ごめんなさい」

しゅんとしながら、でもどこか悪戯っぽく千尋が微笑む。

「反省しているように見えないが」

「目一杯してます! でも、忍人さんが笑ってくれると、ついうれしくなっちゃって」

花がほころぶような笑顔。

忍人は再び眉間に手を当てた。

だが今度は、口元に苦笑が浮かんでいる。




「それで、誕生日とやらには何をするんだ?」

気が済むまで千尋が帰りそうにないとわかって、忍人は尋ねた。

「ええっと、まずはこれです」

風早が運んできたカゴの中から、丸い菓子を取り出す。

「……俺は甘味は……」

「カリガネが甘さ控えめで作ってくれたんです。きっと大丈夫ですよ!」

そう言いながら、今度は細長い棒を何本か並べる。

「……それは?」

「ロウソクです。灯りに使うんですけど、これは那岐と風早のお手製。もっとも那岐は口を出しただけみたいです」

位置を慎重に選びながら、菓子に挿していく。




カリガネに風早に那岐……。この祝いのために、そんなにたくさんの人間を引っ張り出したのかと、忍人は驚いた。

もっとも、王として多忙を極める千尋のことだ。

これだけ手配をするだけでも、かなりの無理をしただろう。

ちゃんと眠っているのだろうかと心配になる一方、心の底から何とも言えない温かい気持ちがこみ上げてくる。




ようやくロウソクを挿し終えると、千尋は部屋の灯りから1本1本に火を移した。

ゆらゆらと揺らめく光のさざ波が二人を照らし出す。

「…………」

「本当は歳の数だけ挿すんです。でも、ケーキが小さいからちょっと少なめにしました」

「……きれいなものだな」

ロウソクと、それを瞳に映した千尋を見ながら忍人は言った。

青い瞳がうれしそうに微笑む。

「じゃあ、歌いますね!」

「歌?」

「お誕生日を祝う歌です!」

頬を紅潮させて、千尋は忍人の知らない言葉で歌い始めた。

単純な旋律だが、不思議と響きが心地よい。

しばらく耳を傾けていると、突然名前を呼ばれた。

”Happy birthday dear 忍人さん…"

「?」

"Happy birthday to you!"


「……ああ」




「じゃあ忍人さん、何か願いごとをしてから、ロウソクを吹き消してください」

目を輝かせて千尋が言った。

「願いごと?」

「はい。叶えたいことを思い浮かべて」

琥珀色の光の中、金色の髪がサラサラと波打っている。

忍人は一瞬だけ沈黙すると、すぐに口を開いた。

「ならば、この中つ国がより良き国となるよう……」

「えっ?」と千尋が驚く。

「……そして、君がいつも幸せに微笑んでいられるよう……」

「お、忍人さん、自分のことは?」

焦りながら言う顔に、忍人は微笑みかける。

「……俺がその傍らに、常にいられるよう……」

「……!……」

フッ……と一息にロウソクの火が消えた。

静かに伸ばされた腕が千尋を引き寄せ、二つの影が重なる。




しばしの沈黙の後、千尋が囁いた。

「……本当は、願いごとは口に出さなくていいんですよ」

「豊葦原は言霊が力を持つ場所だ。言葉にせねばなるまい」

「忍人さん、自分の願いごとが後まわし過ぎます」

「どれも俺にとっての幸福だ」

腕の中で、千尋の頬が赤く染まる。

「…………お誕生日、おめでとうございます」

「……ありがとう、千尋」




忍人がもう一度強く抱き締めようとしたとき、コンコンと控えめなノックがした。

「……?」

「あ!」

千尋がガバッと身体を起こす。

「千尋?」

「風早です」

「かざは……」

千尋が扉を開けると、そこには湯気のたつ茶を携えた風早と、敷物を抱えた柊が立っていた。

「たびたびお邪魔します」

「おや、不機嫌が正直に顔に出すぎですよ、忍人」

柊の言葉に、忍人の眉間の皺はさらに深くなった。




「二人とも、いらっしゃい! 今、ケーキを切り分けるね」

千尋はうれしそうに言って、カゴの中をゴソゴソと探る。

「ああ、切るのは俺がやりますよ。千尋は皿を並べてください」

「失礼して、こちらに敷物を敷かせていただきます、忍人」

「……これはいったい何のマネだ」

あっと言う間に宴会の支度が整った室内を見ながら、忍人はやっと口を開いた。

「誕生パーティです! 家族や友だちが、みんなでお祝いするって言ったでしょう?」

満面の笑顔で、千尋は皿を差し出す。

「さすがに葛城の方たちをお招きするわけにはいかなかったので……。代わり映えのしない顔ぶれで悪いですが」

風早は豆茶をいれた杯を前に置いた。

「…………」

「観念なさい、忍人。今宵の宴はこういう趣向です」

柊が憎らしいほど優雅に告げると、誤解した千尋が必死で訴える。

「来年はもっとにぎやかにやりましょうね!」




来年の誕生日までには、千尋との婚儀が終わっている。

できれば「にぎやか」の「逆」を望みたい……と忍人は思ったが、黙って杯を手に取った。

「忍人さん、お誕生日おめでとうございます!」

「おめでとう、忍人」

「おめでとうございます、忍人、そして我が君」

三人が口々に言って、杯を高く上げた。

祝われる自分よりも、祝っているほうが何だかうれしそうに見える。

その表情をしばらく見つめた後、

(こんな宴も、あってもいいのかもしれない)

と、忍人は微かに微笑んだ。



無口な主賓を除く三人の声が、冬の空気に木霊する。

夜空には冴え冴えとした月と、金砂銀砂を撒いたような星が輝いていた。






 

 
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