『BARAGA-鬼ki』ゆかりのスポット巡り


京都市内の屯所京都府京都市

  

池田屋事件で名を上げた新選組には入隊希望者が殺到し、壬生が手狭になってきたため、西本願寺(上)に屯所を移します。

西本願寺を選んだのは、この寺が長州などの勤王派寄りだったためとも言われますが、西本願寺側は一刻でも早く出て行ってもらいたかったらしく、2年後に不動堂村に新築された屯所の建設費をほとんど全額負担したそうです(浅田次郎さんの小説『一刀斎夢録』には、土方さんがお金を出させるために、わざわざ寺の中で豚を飼った……という描写がありました)。

  

次の不動堂村が、新選組の最後の屯所となりました。
敷地面積1万平方メートル、表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、幹部の居間、平隊士の部屋などを備えた、大名屋敷と比べても遜色のない構えだったそうです。

移転は近藤さん土方さんが幕府直参となった5日後、1867年6月15日でした。
しかし、時代は大きく動き、同年12月14日には伏見奉行所に移るため引き払うこととなります。

現在、JR京都駅のそばにあるリーガロイヤルホテル京都(上右)の正面に上左の石碑が立てられています。

追記:
リーガロイヤルホテル京都から京都駅へと向かう道沿いに、もう一つ石碑を発見しました。
「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」とあります。
近藤さんの甥、宮川信吉さんの書簡に「七条通リ下ル」、永倉さんの手記に「七条堀川下ル」とあるので、この辺りにあったことは確かだとか。
本当に広い敷地だったんですね。

 


*『BARAGA-鬼ki』ポイント
お嬢弥太新選組に入れてもらうために訪ねてくるのが、西本願寺の屯所です。

史実では、この後御陵衛士の離隊があり、近藤さんたちの幕臣への取り立てがあり、不動堂村の屯所に移った約半年後に油小路での伊東甲子太郎暗殺が起こります。

劇ではこれを、幕臣への取り立て⇒御陵衛士の離隊⇒油小路事件という順番に再構築していますね。この辺が、史実に基づくフィクションの所以でしょう。

不動堂村のピカピカの屯所に移ったときには、きっと幕臣に取り立てられた時並みに近藤さん土方さんも喜んだんだろうなあ……。
わずか半年間の夢……と思うと、心が痛みます。