菜の花を透かして ( 1 / 2 )

 



背の高い菜の花の向こうの、少しかすみがかかったような青空。

それが妙に遠く思えるのは気のせいだろうか。

菜の花畑の中に身を沈め、膝を抱えてじっと見つめる。

日蔭の暗さと日向の明るさと。

身の回りの「いかにも春」な光景が、自分の心情と重ならないのがつらい。

そのことにやましささえ覚えながら、あかねは空を見続けていた。



* * *



「やっぱりあれ、疲れてるんだよな」

「うん。このところぼうっとしてることが多いもの」

土御門邸の簀縁を渡っていた鷹通は、天真と詩紋の声に気づいた。

角を曲がると、高欄のところに二人が腰を掛けている。

その視線の先で、あかねが階に座り、ぼんやりと庭を見ていた。




「……神子殿のことですか」

鷹通が声を掛けると、天真と詩紋が驚いて振り向く。

「鷹通! いつ来たんだ?」

「たった今です。お二人の声が聞こえましたので」

「あかねちゃんにご用ですか」

「ええ。けれど、それよりも神子殿のご様子のほうが気になります」

鷹通に問いかけるように見つめられて、天真と詩紋は顔を見合わせた。

「……その……このところ何だか元気がないんです。僕らもそれが心配で」

「多分ホームシックとか、ストレスとか、そういうのだろ!」

天真が顔を背けて言うと、詩紋があわてて

「家に帰りたいとか、いろいろ心配事があるとか、そういう意味です」

と解説する。




「神子殿が京に参られてからもうすぐひと月……ですか。
確かに疲れが出ても不思議はない時期ですね」

「あかねは元の世界じゃ、ただの高校生だったんだ! 
それが毎日のように怨霊退治だ、封印だって恐ろしい目に遭わされて、つらくないわけねぇだろうが!」

かみつくように鷹通に言う天真を、詩紋が後ろからたしなめた。

「天真先輩、あかねちゃんに聞こえちゃうよ」

「ったく、あいつがお人好しなのにつけこんで好き勝手に使いやがって、俺は最初から反対だったんだよ!
何が龍神の神子だ!」

鷹通をにらみつけながら、天真は押し殺した声で訴える。




一つ息をつくと、鷹通は口を開いた。

「私は立場上、天真殿のご意見に賛成するわけには参りませんが、お気持ちはよくわかります。
神子殿のことを大切に思うのは、私とて同じです。
……よろしければお二人とも、お力を貸していただけませんか? 
今回は京ではなく、純粋に神子殿のために」

「…あかねの?」

「あかねちゃんの…ですか?」

二人の問い掛けに、鷹通は大きくうなずいた。



* * *



「うわあ……一面菜の花…!」

目の前に広がる風景に、あかねは思わず声を上げた。

桂川の川辺にいっせいに咲き乱れるレモン色の花々。

葉や茎の瑞々しい黄緑色とともに、典型的な春の光景を描き出していた。

「こんなに咲いてるのを見たのは俺も初めてだな」

天真も感心したように言う。

「僕らの世界では、護岸工事とかで河原が狭くなってるから。
鷹通さん、きれいな場所を教えてくれてありがとうございます」

詩紋が頭を下げて言うと、鷹通は「いいえ」と微笑んだ。

「父の荘園を見回る際、いつも通る場所なのです。
そろそろ菜の花が見ごろかと思い、お誘いしただけです」

「わざわざ誘ってくれてありがとうございます、鷹通さん」

あかねもぺこりと頭を下げる。

だが、その表情がいまひとつ晴れやかでないことに、ほかの三人は気づいていた。




「じゃあ、僕、あの木の下でお昼の支度を始めますね」

携えてきた包みを掲げて詩紋が言った。

「おう、俺は魚釣るわ」

「では、私は火の用意をしましょう」

男たちがばたばたと動き出したのを見て、あかねが

「あの、私も何か……」

と申し出ると、いっせいにNo.の返事が返ってきた。

「今日はお前の慰労会だって言っただろ」

「あかねちゃんが働いちゃ意味がないよ」

「神子殿、よろしければ菜の花の中を散策されてはいかがでしょう」

「…………」

「こちらの支度が整ったらお呼びしますので」

「……わかりました。じゃあ今日はお言葉に甘えます」

鷹通にもう一度頭を下げると、あかねは背を向けて菜の花畑の中に向かった。

「足元ちゃんと見ろよ! こけるなよ!」

天真の声に応え、小さく手が振られる。

華奢な背中を見守る心配そうな三組の瞳は、幸いあかねに見られることはなかった。




サクサクサク。

下草を踏む足音。

空は青く、花々の色も明るい。

近くで聞こえる水音は、桂川の流れだろう。

これ以上ない春の彩りの中を、あかねはあてどなく歩いていた。

吹雪にまかれた旅人のような心境で。




みんなが気を遣ってくれているのはわかる。

本当に申し訳ないと思う。

けれど、自分でもどうしようもない落ち込みを、いったいどう救えばいいのか。

心が迷路に迷い込んだままで、出口が見つからなかった。




振りかえると、とうに天真たちの姿は見えない。

ほうっと息を吐き、少し開けた場所に腰を下ろした。

…情けない。

考える気力もなく、あかねは膝を抱えて空を見上げた。




白い雲がゆっくりと流れていく。

以前の自分なら、それだけで楽しい気持ちになれただろう。

なのに今は全身がだるく、疲れが澱のように溜まっている。

昼間に目にした怨霊の姿にうなされたり、会いたくてたまらない家族と引き裂かれる夢を見たり。

このところ夜の眠りは浅く、断片的だった。




「どうしよう。私、どうしちゃったのかな……」

目に写る、少しかすみがかかった青空がにじんだ。

たまらず伏せた瞳から、ひと筋、ふた筋、滴がこぼれる。

「……帰りたい」

心からの願い。

「お母さん、お父さん……。会いたいよ……」

あかねは肩を震わせ、声を押さえて泣いていた。