もしも……

 



朝。

自宅の玄関先で望美が待機していると、隣家の門を開く音が聞こえた。

ここぞとばかりに走り出す。

「おはよう、譲くん!」

「おはようございます、先輩。今朝は早いですね」

いきなりの望美の出現に驚きながら、譲は微笑んだ。

「うん、たまには譲くんと一緒に登校したくて」

「はは。俺と登校しても別に何の得もないですよ。
まあ、兄さんと一緒だと遅刻確実だけど」

「そんなのわかってるよ〜」

このところ、部の早朝練習のせいで、譲とほとんど一緒に登校できていなかった。

朝が苦手な望美だが、背に腹は代えられないと早起きを決行したのである。




たわいのない会話をしながら極楽寺の駅のそばまで来ると、ホームに電車が近づいてくるのが見えた。

「あれ? 電車遅れてるのかな」

そうつぶやくと、譲は望美のほうに向き直る。

「すみません、先輩。
今日の練習、遅れるわけにいかないので、お先に失礼します」

「え、あ、うん。気をつけて」

望美の声を背に受けながら、譲は長い脚をフルに生かして駅に駆けこんでいった。

一人残された望美は、家から駅までのほんのわずかな時間のため、自分が1時間も早く起きたのだ……と、少し哀しい気持ちになる。

もちろん、譲を責めるわけにもいかないのだが……。



* * *



放課後。

昇降口に下りてきた望美は、譲の姿を見つけた。

「あ、譲くん、今朝は間に合った?」

部活に向かう途中なのか、靴を手早く履き替えながら譲が答える。

「はい。大丈夫でした。あの後の電車はすぐに来ましたか?」

「ちょっと待ったかな。でも、いつもよりはずっと早く学校に着いたよ」

「それはよかった。じゃあ」

にこっと笑うと、こちらに背を向けて校庭に出ていってしまう。

その後ろ姿を望美は寂しそうに見送った。



* * *



「あの、譲くん……」

「どうしたんですか?」

夕食後、わざわざ家まで自分を訪ねてきた望美に、譲は目を丸くした。

「先輩、俺の携帯知ってましたよね」

「う、うん。でも、すぐお隣だし、顔見ながらのほうが聞きやすいし」

「聞く?」

有川家の玄関先で立ち尽くしながら、望美はしばしためらった。

だが、今さら「何でもない」とは言えない。

思い切ったように顔を上げ、口を開いた。




「譲くん、今度の日曜日って、予定あるかな」

「横浜で練習試合がありますけど」

うわ、最悪!

心の中で叫んだが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「あ、そうなんだ。それって、私も見に行っていい?」

「すみません。一般公開はないんです」

「……そっか」

がっくりと肩を落とした望美を、いたわるように譲が声をかける。

「先輩は、何か別の用があるんじゃないですか?」

「え、ううん。映画……でも見ようかなって」

「ああ、だったら兄さんを誘ったらどうですか? 
バイトのシフトが入ってなければつきあってくれますよ、きっと」




「…………………」

「……先輩?」

「ひどい」

「え?」

「こんなの嫌だ。こんな世界、嫌だ」

「何、言ってるんですか?」

「こんな世界にはいたくないよ! 
こんな世界にいるくらいなら、異世界のほうがずっといい!!
白龍、私を戻して!!」

「先輩?!」




「……先輩」

「……先輩?」

「先輩?」

揺さぶられた肩から、感覚が戻ってくる。

一瞬真っ白にとんだ世界が、徐々に彩りを取り戻していった。

「……!」

すぐそばに、心配そうな譲の顔がある。

「大丈夫ですか? 何か辛そうな顔してましたけど」

「……譲……くん?」

「はい。すみません、起こしてしまって」

望美は、譲と隣り合って江ノ電の座席に座っていた。

駅名を見ると、高校前で乗りこんでからほんの数駅。

その間に熟睡してしまったらしい。




「あ……あの、譲くん、明日、一緒に登校しちゃ駄目?」

唐突に言い出した望美に、譲が目を丸くする。

「え? で、でも、俺、朝練があるから家を出るの早いですよ」

「いいの! 一緒に行きたいの」

「それは……もちろん。あなたが望むなら」

少し頬を上気させて、譲が微笑んだ。

望美が大好きな、ちょっと照れた優しい表情。




それだけでは信用できないというように、望美はたたみかける。

「……今度の日曜日は、予定ある?」

「横浜の高校で練習試合がありますけど」

「それって私、見られないかな」

「一般には公開していないんですけど、ちょっと部長に聞いてみますね。
多分問題ないと思います」

「…………」

「先輩?」

「……私、映画も行きたい」

「試合の後でよければ。何か見たい作品、あるんですか?」

「ううん」

「先輩?」

「私……私、ただそばにいたいだけだから」

望美は譲の腕に、ぎゅうっとすがりついた。




「!! 先輩……」

「よかった。譲くんがいつもの譲くんで。私やっぱり、この世界がいいや」

「? 何だかわかりませんけど、先輩がいいなら俺は」

「うん。譲くん、大好きだよ」

「……あ、ありがとうございます……」

電車が徐々に速度を緩め、極楽寺駅へと滑りこむ。

しばらくして、自分から離れようとしない望美に照れまくった譲が、頭をかきながら帰路をたどる姿が見られた。




エイプリルフールは真実の大切さを知る日……でもある。かな?






 

 
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