水無月の宴 ( 1 / 2 )

 



哀しみと怒りに彩られた黒い龍を絡め取るように、白い龍は空へと昇った。

一人の少女を連れて。

天上の世界に呑みこまれようとした瞬間、ひとつの声が響き渡る。

ほかの誰でもない、彼女を一途に愛する若者の声。

輝く笑顔を浮かべて、少女はその胸に舞い降りた。



* * *



「友雅殿!」

近衛府への道をゆっくりと辿っていた友雅は、意外な思いで振り返った。

向こうから小走りで近づいてくるのは、彼の対となる天の白虎。

「……鷹通」

「お待ちしておりました! 朝から殿上されていると聞きましたので。
御上に昨日の顛末を奏上されたのですね」

少し息を弾ませて言う彼の顔を、友雅は訝しそうに眺める。

「ああ、その通りだが……君こそ、私を待っている場合ではないだろう? 
業務の引き継ぎや挨拶で目が回るほど忙しいはずだが」

「はい、それはそうなのですが、今宵のことをお知らせしなければと思いまして。
神子殿にも必ずと言われておりますし」

「神子殿……?」




昨日、神泉苑での決戦でアクラムを破り、ついに京に平和をもたらした龍神の神子。

役割を終えた彼女は、数日のうちには元の世界に戻るはずだった。

彼女が天に昇るのを止めた、この藤原鷹通とともに。




「友雅殿も、神子殿が何度か『誕生日』について話されているのを聞かれたことがあるでしょう?」

「『誕生日』……?」 

唐突な話題の転換。

友雅は頭の中の記憶の断片を少しずつ拾い集めた。

「ああ、確か、神子殿の世界では、生まれた日を祝うのだと……」

「はい。友雅殿、お誕生日おめでとうございます。
今宵は藤姫様のお心遣いで、土御門にて宴をご用意しております。
どうかお運びください」

鷹通は穏やかに微笑んで言った。



* * *



「まあ、友雅殿、お待ちしておりました! どうぞこちらへ」

藤姫が満面の笑みで迎える。

宴の席には、友雅を除くすべての八葉が揃っていた。

「これはこれは。昨日の今日でよく都合がついたものだね」

藤姫に上座に案内されながら、友雅は呆れたようにつぶやく。

「昨日の今日だからだろ。
なんせ昨日の決戦でもしかすると死ぬかもしれないと思って、みんなそれなりに身の回りを整理してたんだからよ」

イノリがハキハキと答えた。

「なんだイノリ、おまえまさか遺書とか書いてたのか?」

天真が驚いてつっこむと

「いしょって何だよ。
俺は姉ちゃんとイクティダールに会って、ちゃんと挨拶はしてきたぜ」

と頭をかいた。




アクラムとの最終決戦。

最後に現れた禍々しい黒龍。

確かに、何が起きてもおかしくない状況だった。

ここに集っている八葉たちは全員傷を負い、死力を尽くして戦ったのだ。




「何かやろうとしても、『今日のところは休んでおけ』と言われてしまいますので」

武士団の仕事から追い払われたらしい頼久が苦笑する。

傍らで、永泉もコクリコクリとうなずいていた。

「友雅の誕生日を祝うのは、八葉の義務ではないのか?」

泰明が問うと、

「義務っていうわけじゃないけど、泰明さんが参加してくれてとってもうれしいです」

と、あかねが微笑んだ。

「そうか」

「泰明さん、ずいぶん笑うようになりましたね」

泰明の穏やかな笑顔を見て、詩紋がうれしそうに言う。

「問題ない」

「そうですね」




詩紋と土御門の女房たちが協力して作った料理が膳を飾り、宴は穏やかに始まった。

酒を傾ける者、甘茶を飲む者、思い思いに楽しみ、語り合う。

「友雅殿、どうぞ召し上がれ」

藤姫が漆塗りの銚子を差し出すと、友雅は軽く目を見張った。

「どうされました?」

「いや、藤姫にはいつもあまり飲むなと止められてばかりだからね」

「今日は友雅殿のお祝いの日ですから。
それに、藤もそのうちお酒のお相手ができるようになりますわ」

ひたむきな目で言われて、どうやら彼女が鷹通の代わりを務めようとしていることに気づく。

「ありがとう、藤姫。だが、急ぐことはないよ。
私はこうして、君のそばで飲んでいるだけで楽しいのだから」

「友雅殿……」




「友雅、刀でも鍬でも必要な物があればオレが鍛えてやるからな」

「ありがとう、イノリ。多分鍬は必要ないと思うがね」

「あ、あの、友雅殿、心の慰めをお求めのときには、わたくしが読経いたしますので」

「畏れ多いお申し出です、永泉様」

「女人の生霊に憑かれたときは、私が祓ってやろう」

「女人限定ですか、泰明殿。そのときにはよろしくお願いいたします」

「藤姫様のお使いは、いつでも私が務めますので」

「すまないね、頼久。頼りにしているよ」




「なんだか大サービスだな、あいつら」

友雅を囲んで、藤姫や八葉が盛んに話しかけているのを見ながら天真がつぶやいた。

「プレゼントとか、用意している暇なかったから。
それに鷹通さんがいなくても友雅さんが寂しくないよう、みんな気を遣ってるんだよ」

詩紋が少し瞳を潤ませて答える。

あかねに不安そうに見つめられて、鷹通は柔らかく微笑んだ。

「別れの辛さを感じているのは、皆同じですよ、神子殿。
そうでしょう? 天真殿、詩紋殿」

「……最初は喧嘩ばっかりしてたんだけどな」

天真の視線の先には、穏やかに笑う頼久がいた。

「そう……だよね」

詩紋が見つめるのは、藤姫に何か一生懸命話しているイノリ。

待ち望んでいた帰還を前に、彼らは不思議な胸の痛みにとらわれていた。