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風声 ~魔法のベルが鳴るとき 忍人・譲編に寄せて~ ( 2 / 5 )

 



「ほんまに素直やないんやから」
「本当に困った子ですね」

夕霧と柊は、溜息をついた。

忍人製作の酒粕チーズケーキおよび清酒、その他もろもろは、やはり身体が譲の行動を記憶していた所為か、初めて作った料理とは思えないほどの出来栄えだった…のはよかったのだが。

「忍人しゃーん~。ありがとーおいし~~~」
「…なあ、あのけーき、分量間違ってたんやない?」

真っ赤な顔をした千尋を介抱していた夕霧が、忍人を見上げた。
忍人の作った酒粕ケーキを食べた千尋が、ぐでんぐでんに酔っ払ってしまったのだ。

「おかしいですね。以前、譲君が作った時にはこれほどではなかったのですが。忍人、何か変なもの入れましたか?例えば媚薬とか」

答えの代わりに忍人の鉄拳が柊を直撃した。

「俺はめも通りに作っただけだ!…強いて言えば、酒の醸造具合が以前と違っていたのかもしれないが、決しておかしなものは」
「柊!」

突然、びしっとした千尋の声が二人を制した。

「どうして忍人さんをいじめるの!」

「我が君…いじめられているのは私の方ですよ、ああ、この腫れた頬をよくご覧になって下さい。忍人がこのような乱暴者に育ってしまうとは、時の流れとは残酷なものですね、あの幼く愛くるしかった忍人は今どこに」
「そんな俺は昔からいない!お前の妄想だ!」
「柊、いい加減にして!忍人さんは私達の為に慣れない料理を作ってくれたのよ?」
「あら、千尋ちゃんたら結構素面やないの。これなら大丈夫やろか」
「でも先ほどまで、」

そこに怪しい足取りで近づいてくる者があった。

「忍人~こんなに立派にケーキを作れるなんて、いつでもお嫁にいけますね! お父さんは嬉しいですよ! おしひとおお!」

明らかに酔いすぎの風早が、ばんばんばん!と忍人の背を叩いたのだった。

「…あのように酔っていましたが?」
「イヤだな~酔ってなんかいませんよ、ねえ千尋? ケーキで酔うわけないれすよれ~」
「そうよ。ケーキらもんね~。忍人さんが作ってくれた…世界一のけえきらもん…いっぱい食べたらけらも~ん…」
「…すまない。どうやらこれは俺の分量が間違っていたらしい」

絡みつく風早を引き剥がしながら、渋面で忍人が言った。

「そんなことないれすよーねえ、千尋?俺達が食べ過ぎただけです~」
「そうよー。ああもう風早ばっかりずるーい!私も私も~」

言いながら立ち上がろうとした千尋が、ふらりと体勢を崩した。

「あっ、危ない!」

さっと手を伸ばした夕霧よりも早く、忍人の腕が千尋を支えた。
抱きかかえられても、千尋はにこにことしている。

「全く君は、将としての自覚があるのか! こんなつまらない事で怪我などしたらどうする!」

怒鳴られて、しかし、千尋は更に嬉しそうに微笑んだ。

「忍人さんだあ~本当の忍人さん~…大好き!」

抱きついて安心したのか、千尋はそのまま寝息を立てて崩れ落ちていった。
忍人は呆然と、千尋の腕を持ったままだった。

「忍人さん、呆けとる場合やない!千尋ちゃん千尋ちゃん!」

くぐもった夕霧の声に、はっと忍人は我に返って、ぐったりした千尋を抱き起こした。

「……ほんで、こっちも、この人どうにかしてえええ!」

忍人が咄嗟に千尋を抱えた結果、それまで纏わり付いていた風早を突き飛ばす事になり、その風早は夕霧が支える羽目になって押しつぶされているのだった。

「いやあ、抱き心地悪いし、酒くさぁて重い! うち、やっぱり抱くなら、可愛い女の子がええわあ~千尋ちゃんを返して~」
「あ、ああ…」

忍人はぎこちない動作で千尋を夕霧の隣に横たえた。
その間に柊が、正体のない風早を持ち上げて放り出し、夕霧を救出した。

「千尋ちゃん…ち・ひ・ろ! 風早さん!ああ、あかん…二人とも完全に寝てしもうとるわ」

ぱしぱしと軽く頬をたたいてみても、千尋と風早はもう白河夜船で起きる気配もなかった。

「あ~どないしよ。ここにはもう素面の人は数えるくらいしかおらへんし…」

宴会は盛り上がり、忍人の作った清酒で皆酔っ払い、千尋や風早の醜態を誰も気にも留めていないのが救いといえば救いではあったのだが。

「…夕霧、すまないが、二ノ姫を部屋に連れて行ってもらえるだろうか。柊、お前は俺と一緒に風早を運ぶぞ」

夕霧の瞳がくるん、と丸くなった。
横ですやすや眠る千尋は、幸せそうな顔をしている。
さら、と額に落ちかかる前髪をそっと直してやってから夕霧は言った。

「…うち、この状態の千尋ちゃんを抱きかかえて運ぶ自信ないわあ。引きずる訳にも行かないし。な、忍人さんが抱きかかえて連れて行ってもらえへん?」
「なっ…!」
「そうですね。我が君がこのような失態になったのは、元はといえば忍人のけーきが原因ですから。では、夕霧殿、私達はこの巨体を」
「…無駄に大きいんも考えもんやなあ。風早さんは、もうこのまま放置でええんちゃう?」
「駄目だ!!」
「あら、じゃあやっぱり運ぶしかないん…」
「違う!そっちじゃない!」

え、と夕霧と柊が忍人を振り返った。
忍人の頬はほんのり赤く、唇を僅かに噛んでいた。

「この状態の二ノ姫を、俺に運ばせるな!」

夕霧がふ、と表情を変えて言った。

「…それは、どうして?」

大好き、と言われた事、抱きつかれた感触。
忍人の体温が一気に上昇する。

「とにかく…! 駄目だ! どけ、柊。風早を俺が運ぶ!お前に任せるのはどうかとも思うが…夕霧を助けて、姫を部屋に」

そう言うと忍人は、風早の大きな身体もものともせず鮮やかに抱え上げ、後ろも振り返らずにあっという間に去って行った。

残された夕霧と柊は、どちらからともなく苦笑した。

「ほんまに素直やないんやから」
「本当に困った子ですね」

夕霧と柊は、溜息をついた。
忍人と千尋が思い合っているのは、明らかだ。
戦という状況が彼等を素直にさせてはくれないが…それでも幸せになって欲しいと願う者は少なくないだろう。

夕霧と柊は、熟睡してしまった千尋を二人で抱え上げ、他の者の目にさらされないように、そっと部屋へと連れて行った。
靴を脱がせ、髪飾りをとって寝台に寝転ばせれば、白い足が惜しげもなく乱れ、甘い菓子の匂いに乗せて罪作りな声が吐き出された。

「忍人さん…」

夕霧がそっと千尋に、寝台の上布を着せ掛けた。

「これは辛いですね」
「いやあ、目の毒やわあ」

すやすやと眠る千尋を見つめながら、二人ともしばらくそのままそこにいた。

「なあ、柊さん。その目には何が見えとるの?」
「我が君の健やかな寝姿と、夕霧殿の美しくも憂いを秘めた横顔…でしょうか」
「冗談はもうなし。…星の一族の既定伝承、何が書いてあるん?」
「…そうですね……」
「あまり、よくない?」
「……星々のささやきは時に…美しいが故に残酷です…」
「そう……」

夕霧の長い睫が伏せられた。
素直な少年だった譲の置き土産だろうか。
忍人の表情が少し変わって見えるのは気のせいではないはずだ。
頑なに凍らせていた忍人という氷が、少しずつではるが、溶け始めているのを感じる。
それならば……

「なあ、柊さん。ひとつ相談に乗ってほしいんやけど」

夕霧の質問に柊が首を傾げた。

「どういうことでしょうか…?」
「あなたが、識る者なら、私は見る者。…なあ、うちら、共犯者にならへん?」

にっこりと微笑みながら柊を見上げた夕霧の瞳に、もう先程までの憂いはなかった。








 
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