心惹かれる人 ( 1 / 2 )



「幸鷹さん!」

弾むような声が、背後から聞こえた。

振り返るまでもなく、誰がそこにいるかわかる。

この京を救うべく龍神が遣わした清浄なる存在。

「神子殿」

少しまぶしそうに微笑みながら、幸鷹は少女を瞳に映した。




「…では、私はここで…」

「ありがとうございました、泉水さん」

控えめに礼をすると、泉水は来た道を戻っていく。

「今日は泉水殿とどちらに行かれたのですか?」

後ろ姿を見送りながら、幸鷹が尋ねた。

「泰継さんも一緒に、水属性の場所を回ったんです。神泉苑と、上賀茂神社と深泥池と」

「それは…。お疲れになられたでしょう」

今朝方立ち寄ることができなかったため、幸鷹は四条の紫姫の館を夕刻になってから訪れていた。

すでに通い慣れた花梨の居室への道を、二人で肩を並べてたどる。

御簾の外に座ろうとする幸鷹を、花梨は強引に中に招き入れた。




「…神子殿」

幸鷹が困惑した顔で言う。

「だって、お話しするのに御簾を間に置く必要なんかないですよ。コミュニケーションって言うのは、お互いの表情とか、動きとか、そういうものも含めてなんですから」

「…コミュニケーション……互いに感情や情報を伝え合う行為…でしたか」

「はい。そんな感じです」

花梨がにっこり笑った。

出逢ってしばらくは、こうした聞き慣れない言葉を口にするたび、花梨は謝って懸命に言い換えようとした。

しかし、幸鷹はその言葉の一つひとつに興味を示し、定義を尋ねるとすぐに覚えてしまった。

結果として、今ではかなり自由に花梨が話をしても、幸鷹は理解することができる。

「私、幸鷹さんに笑ってもらえるとすごく安心するんです。とってもやさしくて温かい微笑みだから」

「神子殿…」

ストレートな言葉に、さすがの幸鷹も微かに頬を上気させる。

「…まったく、あなたにはかないませんね。こんな顔でよろしければ、いくらでもお見せしましょう」

「はい!」

花梨は格別な笑顔で答えた。



* * *



「これで、水穢の祓いは終わりましたから、当面は怨霊の封印と五行の強化に時間を使えますね。明日は、洛南に行かれてはいかがですか」

手もとの書き付けを見ながら、幸鷹が言う。

「そうですね。この間は方忌みで回りきれなかったから、復活している怨霊も多そうだし。石原の里辺りまで行った方がいいのかな」

顎に指を添え、虚空を見上げながら花梨が答えた。

限られた日数で数多くのミッションをこなさなければならないため、いつしか花梨と幸鷹は、こうして作戦会議のようなものを開くようになっていた。

時に泰継をアドバイザーに迎えながら、無駄なく効果的に京を廻る経路を決めていく。

八葉の中で、こうした仕事に最も向いているのは幸鷹だった。

「では、明日はイサトと泉水殿、明後日は青龍の二人を伴われて出掛けられるとよろしいでしょう」

当面の方針が決まり、幸鷹は筆を置いた。




「あの……幸鷹さん」

その様子を見ながら、花梨が控えめに言った。

「何ですか?」

「次の物忌みなんですが………お招きしたら迷惑ですか?」

幸鷹が再度、懐から書き付けを取り出す。

「四日後……でしたね。今からなら調整がきくと思います。迷惑などと、とんでもない。私でよろしいのですか?」

はきはきと答えられて、花梨はむしろ困惑したようだった。

「…はい。このところ、幸鷹さんとは街を回っていないので」

「……? …神子殿、どうかなさいましたか?」

うつむき加減の花梨の顔を、覗き込むように幸鷹は尋ねた。

「な、なんでもありません!!」

距離の近さに花梨が真っ赤になる。

「……ならばよろしいのですが…」

身を引きながらも、幸鷹はじっと見つめた。

花梨はいたたまれないようにもじもじと動く。




「……今度は、まったく違うお話をいたしましょうか」

「え?」

不意に言われて顔を上げた。

安心させるように、幸鷹が微笑む。

「神子殿と物忌みを過ごさせていただくたび、私はこの京についてさまざまなお話をしてまいりました。神子殿が使命を果たされるのに多少でもお役に立てばとの思いでしたが……あまり堅苦しい話ばかりではお疲れになるでしょう? 何かもっと……『リラックス』できる話にしたほうがよいかと…」

「ゆ、幸鷹さん…」

花梨は急に気が抜けたような顔になった。

「言葉の使い方がおかしかったですか?」

幸鷹の問いに、首を左右に振る。

そして、突然下を向くと、手もとにぱたぱたと涙を落とした。




「! 神子殿!?」

驚いた幸鷹が肩に手を掛ける。

「ご、ごめんなさい」

懸命に涙を拭いながら、花梨が笑った。

「こんなにうれしいなんて、自分でもびっくりしちゃった。もう、二度とそんな言葉は聞けないと思ってたんですね、私」

「…!」

「あれ? おかしいな」と言いながら、涙を止めようとする花梨の手をそっと握ると、

「…では、物忌みではそういうお話をいたしましょう」

と、幸鷹は言った。

「え?」

「神子殿の世界のお話です。神子殿が朝ベッドで目覚めてから、トーストを食べて学校に向かい、クラスの友達と楽しく過ごされている世界のお話を」

「ゆ、幸鷹さん…!!」




幸鷹はにっこりと笑う。

「私はまだまだ理解が足りません。携帯電話でメールを送るということ、写メを撮るということ、ブログにアクセスするということ……。いろいろとお教えください」

「!!!!…」

花梨は驚きのあまり、声を失ったようだった。

両手で口を覆って、目をパチクリとさせている。

確かに、話題に出る度に説明はしてきたが、まさかこんなに系統立ってスラスラと口に出せるほど精通しているとは思いもしなかった。

花梨はあらためて、幸鷹の明晰さに感動を覚える。

そして何にも増して、彼の思いやりがうれしかった。

初めて出逢ったとき、穏やかで親身ではあったものの、神子と名乗ることを諌め、飽くまで職務の範疇で接してきた幸鷹。

それが、ともに八葉を探し、怨霊を封印し、穢れを祓う中で、花梨を神子と認め、今ではこんなにも温かい微笑みを向けてくれる。




「…神子殿?」

固まってしまった花梨を前に、幸鷹は少し困ったように小首を傾げて問いかけた。

花梨はようやく我に返る。

「…あ! す、すみません、私、あんまり驚いて…」

「大きな瞳が零れ落ちそうでしたよ」

カーッと、首まで赤くなった。

「戯れ言です。お気になさいませんよう」

あまりに見事な反応を見て、笑いをこらえながら幸鷹が言う。

「…いけず」

「はい?」

「な、何でもありません。じゃあ、物忌みをすっごく楽しみにしていますね」

ちらりと聞こえた言葉を追求したそうだったが、今回は堪えることにしたのか、幸鷹は立ち上がった。

「私もです、神子殿。どうか明日からもお気をつけて」