発熱1 (1/3)



 「え? 風邪…ですか」

「そうなのよ、あの子もやり慣れないことやるもんだから」

春日家の玄関。

望美を迎えに来た譲に、外出支度の望美の母が笑いをこらえながら言った。

「え?」

「いえ、何でもないの。私はこれから出掛けるんで、悪いけど放課後に一度様子を見てやってくれるかしら。スペアの鍵、渡しておくわ」

「わかりました。じゃあ、欠席の連絡も俺からしておきますね」

望美の母親から絶大な信頼を得ている譲は、なぜか保護者の役まで背負って春日家を後にした。

(風邪…か。チョコレート、渡そうと思ってたんだけどな…)

鞄の中には、毎年恒例の手作りチョコが入っていた。

そう、今日はバレンタインデー。

去年まで、伝えられない想いをそっと込めて望美に渡していたが、堂々と渡せるようになった今年は、腕に一層よりをかけて作った。

(でも、熱があるんじゃ、あんまり食べたくないだろうな)

急遽メニューの変更をすべきかどうか、譲は頭を悩ませながら一人通学路を辿った。


* * *


コンコン。

控えめなノックの後、小さい声が続く。

「先輩、起きてますか?」

「譲く〜〜ん、おなか減った〜〜〜〜」

この上なく情けない声が答える。

ほっと微笑みながらドアを開けた。

「やっぱりお昼まだだったんですね。部活を休んでよかった」

運んで来た盆の上にはグツグツと湯気を立てる一人用の土鍋。

望美が重ねた布団をかき分けて起き上がる。

「おかゆ〜〜?」

「そうですよ、ほら先輩、ちゃんと暖かいものを羽織らないと」

土鍋に突進しようとするのを制して、靴下と膝掛けとカーデガンをしっかり着させてからベッドサイドの小さなテーブルの前に座らせる。

「あわてて食べて火傷しないでくださいね」

それだけ言うと、あとはハフハフとおいしそうに食べる姿を微笑んで見ていた。




「おいしかった〜〜! ありがとう、譲くん」

満面の笑顔で感謝されて、譲はあらためて顔を赤くする。

「いえ、先輩の役に立てたならうれしいです」

「ママったら、すっかり譲くんを頼りにして出掛けちゃうし、うちの家族もいい加減だよね」

ふくれっつらの頬が紅潮しているのを見て、譲は思わず額に手を伸ばす。

「まだ熱あるんじゃないですか? 薬を飲まないと」

「あ……うん、飲む……」

いきなり譲に触れられて、今度は望美が赤くなった。




薬を飲み終わるのを待ってから、譲は鞄を開け、箱を取り出した。

「先輩、これ、具合がよくなったら食べてください」

「……チョコレート…?」

なぜか望美が硬直する。

「はい。本当は、ホットチョコレートとか、チョコレートプリンとか、病気の時に食べやすい形にできればよかったんですけど、先輩が昼食まだだったら可哀想だから、おかゆだけ作ってすぐに来てしまいました」

「…………」

望美は俯いて、箱に手を伸ばそうとしない。

「あ、すみません、病気のときにこんなもの出して……」

(やっぱりホットチョコレートにしたほうがよかったかな)

軽く後悔しながら、譲は立ち上がった。

「とりあえず、下の冷蔵庫に入れておきますね。ここだと溶けてしまうから」

望美があわててガバッと抱きつく。

「せ、先輩!?」

「れ、冷蔵庫は駄目!」

「だ、駄目って」

薄いパジャマで覆われただけの胸を押し付けられ、譲は大いに取り乱した。

が、望美にはそんな譲の様子は目に入らないらしい。

「とにかく下に行っちゃ駄目! ぜった……」

いきなり動いたせいで目眩を起こし、フラーッと後ろに倒れる。

「先輩!!」




咄嗟に背中を支えると、望美を両腕で抱きとめた。

「無茶しちゃ駄目ですよ!」

さっきよりずっと密着していることに、今度は譲のほうが気づかない。

(あれ……なんか抱き締められてる?)

間近から譲に見つめられて、望美の鼓動が跳ねる。

「ご、ごめん…、譲くん…」

あわててそらした顔は真っ赤である。

「まったく、仕方のない人だな」

ひとつ溜め息をつくと、譲はいきなり望美を抱き上げた。

(えええ?! お姫様抱っこ〜〜!?)

と、思う間もなくベッドに戻され、再び何枚も布団をかけられる。

「顔が真っ赤じゃないですか。薬が効くまでこのままじゃ苦しいですね」

「う、ううん、これは……」

「とにかくちょっと待っててください」

譲が難しい顔をして部屋を出て行った。

熱のせいじゃないんだけどな……と思いながら、望美は布団の中にもぐりこむ。

胸がまだドキドキしていた。