玻璃の向こう (1 / 2 )

 



汗と体温で眼鏡が曇り出していた。

いっそ外してしまいたいが、そうすると相手の動きを捉えられない。

この玻璃の切片は鷹通の命綱であり、弱点でもあった。




小太刀を握り直し、前に一歩踏み出す。

空を裂く鋭い音。

振り向き様に薙ぎ払うと、足下に鞭のような触手が落ちた。

「鷹通、長剣を使うかい?」

「いえ、こちらのほうが慣れておりますので」

長剣を構える友雅の隣で、油断なく周囲を見回す。

先ほどから敵は姿を見せず、ただ、鞭状のものによる攻撃が続いていた。

二人は背にあかねをかばっている。

神子に封印の力があると言っても、もっと怨霊の力を削いでからでなければ、有効に使うことはできない。




一瞬、視界を光がかすめた。

思わずそちらに目をやった瞬間、まったく別の方向で空気が鳴る。

「!!」

身をかわすのが一呼吸遅れ、鷹通の眼鏡は弾き飛ばされた。

「鷹通さん!!」

「ご心配なく! 神子殿」

「でも……!」

「鷹通は大丈夫だよ、神子殿」

落ち着かせるように友雅が声を掛ける。




そのとき、ようやく怨霊が全容を現した。

大きな頭から手も足もない軟体動物のような胴体が伸びている。

無数の触手が蠢き、巨大な二つの目玉と、パックリと裂けたような口が不気味な表情を形作っていた。

あかねが小さく悲鳴を上げる。

素早く友雅と目を見交わすと、鷹通は長い袖をさばき、地を蹴った。

次々と襲いかかってくる触手を迷いのない動きで斬り捨て、怨霊の本体へと迫る。

友雅も同様に、白刃を閃かせて怨霊との距離を縮めた。




ここまでの戦いで、五行の力は尽きかけていた。

あかねの封印のため、これ以上減らす訳にはいかない。

技ではなく、直接攻撃を繰り返して怨霊を弱らせる。

そう友雅とは申し合わせていた。

「鷹通!」

「はい!」

怨霊を目前に二手に分かれ、死角となる部分に刃を突き立てる。

長剣が胴体を袈裟懸けに切り裂き、怒りに燃える触手が振り下ろされる前に、小太刀が別の急所を捉える。

たまらず反転した触手を、友雅が鮮やかに切り落とした。




怨霊の断末魔の叫びを包み込むように、温かな光が辺りを満たす。

「めぐれ天の声 響け地の声 彼の者を封ぜよ」

あかねの凛とした声が、穢れに満ちた場を一瞬にして浄めた。

身をよじって暴れていた怨霊は動きを止め、細かな光の粒子に姿を変える。

最後の一粒が大気へ溶け込んだ後、唐突に沈黙が訪れた。




全員が、肩で息をしながらその光景を見つめていた。

「鷹通さん!」

弾かれたようにあかねが言う。

「お怪我はございませんか、神子殿」

小太刀を鞘に収めると、鷹通は微笑んだ。

「鷹通、なくさずに済んだようだよ」

友雅が鷹通の背中、着物の裾近くにかろうじてひっかかっていた眼鏡を拾い上げる。

「ああ、鎖が片方だけ切れなかったのですね。助かりました」

「大丈夫ですか? でもどうして?」

鷹通が軽く拭った眼鏡をかけ直すのを見て、あかねが尋ねた。




「神子殿、もう日も暮れる。聞きたいことがあるなら、邸に戻ってからにしてはどうかな」

「は、はい」

「藤姫のお邸は、ここからそう遠くありません。
お疲れでしたら、馬なり牛車なりご用意いたしますが」

「そんな! 大丈夫です! 私まだまだ歩けます」

「私は楽なほうがいいがね」

「友雅殿。とにかく、お邸に向かいましょう」



* * *



「鷹通さん、あまり目がよくなかったはずですよね」

藤姫の邸に腰を落ち着けるとすぐに、あかねは身を乗り出して尋ねた。

「はい。眼鏡なしではこの距離でも神子殿のお顔があまりよく見えません」

「でも、さっきの戦いでは、なんか……」

「眼鏡があるときよりも動きがよかった……かな?」

友雅が微笑みながらあかねの言葉を継ぐ。

「よ、よりも、とは思いませんけど、見えていないようには思えなかったから!」

あかねが赤くなって訂正した。

「『見えてから動くのでは遅いのだ』……と、友雅殿からお教えいただきましたので」

「友雅さんから?」

「ずいぶんと昔のことを覚えているのだね、鷹通」

友雅は手の中の扇を弄びながら、遠い日の出来事に想いを馳せた。