『遙かなる時空の中で2』

幸鷹×花梨

 

2012年文月・地


三秒前


「神子殿、手を貸そう」

「ありがとうございます、翡翠さん」

「ふふ、私は上背があるのでね。何なら抱き上げて差し上げてもいいよ」

「そ、そんな!」

「海の男だから力もあるしね」

「本当に大丈夫ですから」

「ああ、やわらかい髪だね」

ガシッ!

「それ以上触れたら、斬る!」




悪戯

神子殿からの文の最後に、小さな文字を見つけた。

”I’m happy to be with you.”

いまだに進むべき道を決めかねている私を、急かすでも見捨てるでもなく。

悪戯書きのように見える言葉に込められた、暖かな想い。

私も素直な気持ちをあなたに返そう。






怨霊の瘴気にあなたがいつも震えているのはわかっていた。

だからその手を包み、労うのを常としていた。

…が。

「翡翠殿! いつまで神子殿を抱きしめているのです!」

「白菊の震えが止まるまでは…ね」

「とっくにおさまっているでしょう!」

私は断じてこの男と同類ではない!






電車の振動にまどろんでいると、優しい指先が髪を梳き、

「そろそろ着きますよ」と耳元で囁いた。

飛び起きた花梨は、隣りに座る幸鷹を見てほっと息をつく。

「よかった。幸鷹さん、いてくれた」

現代に戻って半年になるのに、まだ今の状況が信じられない花梨に幸鷹は微笑んだ。





2012年葉月・天


ふさぐ

「確かに私は京の人間じゃないし自分の世界に帰りたいけど、あんな風に言わなくても…!

でも、千歳ちゃんが京のことを真剣に考えているのはよくわかるから、力を合わせたいんです!」

「…ふさいでいるより、そうして声に出すほうがすっきりするでしょう?」

「ほんとだ」





「だいたいみんな態度が冷たすぎますよ! 

うら若き乙女に失礼なことばっかり言っちゃってさ!

龍神の神子様を何だと思ってるんですかあ!」

「紫姫、この甘酒、強すぎるのでは」

「神子様がふさがれているよりはましです。幸鷹殿、最後までおつきあいくださいね」

「…は」






「冷たい! 気持ちいい!」

熱で頬を紅潮させた花梨がうれしそうに笑う。

「あなたが頑張って降らせたのですから、役に立ってもらいましょう」

桶に取った雪で冷やした布を、額に置きながら幸鷹が囁く。

眠そうな紫姫に替わって得たこの役目を、朝まで降りるつもりはなかった。





「八葉は冷たくなんかなかったですよ」

花梨が微笑む。

「私がいきなり現れても、ちゃんと相手してくれたし」

「彼らが謝りたいというのですから、謝らせてやるべきでしょう」

共に八葉たちの待つ局に向かいながら、

最初の「味方」になれてよかったと幸鷹は胸を撫で下ろしていた。




阿吽

「八葉とは言えお尋ね者。お気をつけください」

「謹厳居士という顔をして、あれも男だからね。気をつけたまえ」

「怨霊です! 翡翠殿、神子殿を!」

「ここに隠れておいで、白菊。別当殿とすぐに倒すからね」

「「大威徳明王の名にかけて!」」

「……結局、仲いいよね…?」






「私に少し時間をください」

幸鷹さんがそう言ってから、しばらくたつ。

端正な横顔に時々影が落ち、悩んでいるのがよくわかる。

どちらも幸鷹さんにとっては自分の世界。

「どんな結論が出ようと、私はあなたと共にいます」

…とうにそう決めていると告げたら、彼は驚くだろうか?





不遜にも神子殿をお待たせして、今後取るべき道を考え続けている。

急かすことなく微笑むあなたは、私が京に残る道を選んでも構わないのだろうか?

二度と会えなくなっても?

この恋は一方通行なのか?

気づくとあなたを責めている自分の、理不尽さに赤面する。





2012年葉月・地




「波の音を聞くと、伊予を思い出しますね」

「あっちでは翡翠さんと仲良しだったんですか?」

「後にも先にも仲良しではありませんが、世話になったことは認めます。

まだ頭でっかちでしたから」

「今もそう変わらないよ」

「…次は二人きりで参りたいですね、神子殿」

「同感だね」






和仁が捨て台詞を吐いて去った後、花梨は幸鷹を見上げた。

「大丈夫ですよ。宮様とて法には従っていただきます」

「でも」

「やりようはあります。あなたの八葉を信じてください」

一瞬、幸鷹の貌に能吏の表情が浮かぶ。

花梨は言葉を飲み込み大きく頷いた。

この人を信じてみよう。




本音

「こっちでは奥さんを何人ももてるから」

「ほかの八葉、特に海賊から神子殿を引き離すことが重要なのです」

紫姫はため息をついた。

帰るのを思いとどまってくれないかという説得に、二人がそれぞれ告げた本音。

「神子様のお幸せのためなら」

諦めるしかないともう一つため息。






「今日は私が行く先を選んでよろしいですか」

幸鷹さんの突然の提案に驚きながらも京を巡る。

美しい自然や遊ぶ子供たち、一生懸命働く人の姿を見ているうち、

うまくいかなくて沈んでいた心が軽くなってきた。

「もしかして?」

問うように見つめても、端正な横顔は微笑むだけ。