あなたは知らない

 



"You'll never know, dear, how much I love you..."

「え?」

望美が突然英語の歌を口ずさんだので、譲は驚いて顔を上げた。




有川家のリビングルーム。

低いテーブルを隔てて、二人は向かいあったソファに座っている。

カップに紅茶を注ぐ手を止めて、譲は望美に問い掛けた。

「……それ……何の歌ですか?」




たまたま歌ったのなら聞き流しもするが、彼女が自分をじっと見つめていたので聞かないわけにはいかなかった。

「今日、友達に教えてもらったの。古い歌らしいんだけど、なんか、すごく気持ちがわかるなって思って……」

「すみません、もう1回歌ってもらってもいいですか?」




少しためらった後、望美は小さい声で歌いだす。



"You are my sunshine
My only sunshine
You make me happy, when skies are gray
You'll never know, dear, how much I love you...

あなたは私の太陽
ただ一つの太陽
空が暗いときも、あなたは私を幸せにしてくれる
愛しい人よ、私がどれだけ愛しているか、あなたが知ることはない…"



「え? それのどこが?」

「そういうところが」

ピタッと望美に指差されて、譲は思わず固まってしまった。

困惑している顔をしばらく見つめた後、望美は「はあっ」と息を吐く。




「……譲くんは、いまだに自分のほうが『好きな気持ち』が大きいって思ってるよね?」

「え?」

「私が譲くんを好きな気持ちより、自分が私を好きな気持ちのほうが大きいって。絶対思ってるでしょ?」

「……それは……あの……?」

あまりに自明のことなので、なぜ今さら問われるのかわからない。

その思いがそのまま顔に出たらしい。

望美がソファから立ち上がり、テーブルを回りこんで譲のすぐ隣りに座った。




「……先輩?」

譲を無言でじっと見つめる。

意図がわからず、ただただ困っている譲の前で、望美は徐々に頬をバラ色に染めていった。

「……あの?」

問いを発しようとした譲の唇に、突然望美の指が触れる。

そのまま顔の輪郭をなぞるように、顎から頬をゆっくりとたどる。

もう一方の手は、譲の髪を愛おしげに梳り始めた。

こんな風に触れられるのは初めてで、譲の顔もぐんぐん赤くなっていく。

「先輩……」

ソファから軽く腰を上げると、望美はほんの少しだけ唇を重ねた。

「…!」

譲の瞳を見つめて、もう一度。

ソファに座りなおし、今度は少し譲を引きつけるようにしてキスをする。

すべてが初めてでのことで、譲はただされるがままだった。




眼鏡を外し、頬や耳元にまで柔らかなキスの雨を降らせた後、望美はうっとりとため息をついた。

「……意地悪言おうかと思ったけど、無理。顔見てると、譲くんが好きってことしか考えられなくなるから」

真っ赤な顔でうっすら涙まで浮かべて、そう囁く望美に譲は言葉を失う。

「私、本当に好きなんだよ。家で譲くんのこと考えると泣きそうになるもん。どうしていいかわからないくらい好きなの。好きすぎてとっても苦しいの」

「そんな……」

自分が耳にしている言葉が信じられなかった。




「なのに譲くん、信じてくれないでしょ?」

「……いや、でも、俺……」

相変わらず戸惑っている譲から、望美はすっと身体を引く。

「だからあの歌の気持ちがわかるの。この想いは通じないんだなって」

「先輩……!」

一瞬、望美がそのまま立ち去ってしまうのではないかと譲は焦った。

が、望美は自分の胸に手をあて、長い髪をさらさらとこぼしながらうなだれる。

「確かに……私が恋愛なんて考えもしないころから、譲くんはずっと好きでいてくれた。『思い続けた時間』のギャップは、今さら埋められないよね。
でも、私は今、本当に譲くんが好きなの。この気持ちは誰にも負けないの。いったいどうしたら信じてくれるのかな? 私は何をすればいいのかな?」

肩がかすかに震えている。

まさかこんなことで望美が傷つくとは。

譲は掛けるべき言葉を必死で探した。




しばらくの沈黙の後。

「……その……俺は……省エネ運転に慣れていて……」

「…………え」

意外な発言に望美が顔を上げる。

……省エネ運転? なぜ、今、車……?

「……今まで、どんなに些細なことでも、あなたが笑ったり、喜んだりしてくれれば、それだけで十分幸せだったから……」

眼の前で、赤い顔をした譲が懸命に言葉を紡いでいた。

「……だから、その、あなたが俺を好きでいてくれるっていう、大きすぎる事実をまだ受け止めきれないんです。あんまりうれしくて、幸せすぎて……
ちっぽけな軽自動車に、突然、ジェット燃料積まれたみたいで、とても処理しきれないっていうか……」

「ジェット……?」

望美の表情を見て、譲はあわててたとえを変えた。

「その、毎日メザシと味噌汁を食べてたのに、いきなり豪華ディナーを差し出されたような気がするというか、俺、胃が小さくなってていきなりはとても食べ切れないっていうか……!」

「……ああ……うん……? わかるようなわからないような……」

空をにらんで真剣に考える望美を見て、譲の顔にようやく笑みが戻る。




「だから、本当に申し訳ないんですが……」

彼女の手を取り、瞳を見つめながら言葉を続けた。

「どうか、俺にもう少し時間をください。
ゆっくりゆっくり……あなたが俺を見て笑ってくれているんだ、とか、こうしてそばにいることをあなたも喜んでくれているんだ、とか、少しずつ確認しながら進んでいきたいんです。
一つひとつを実感して、この状況をちゃんと信じられるようになりたい……」

「……譲くん」

「こんな臆病な人間ですみません」

少し申し訳なさそうな微笑み。

「ううん、私こそ」

頭を左右に振りながら、望美は答えた。

「一人で焦って、急いじゃってごめん……」

「キスはとてもうれしかったです」

「言わないで……。すごく恥ずかしい」

今さら耳まで真っ赤になって、うつむく。




「……じゃあ、お茶にしましょうか。少し冷めちゃったかな」

話題を変えようと譲が腰を浮かした。

「あ、入れなおさなくてもいいよ! 私このまま飲むから」

望美は立ち上がって自分のティーカップを引き寄せると、ストンと譲の隣りに座った。

もう、向かいのソファに戻るつもりはないという意思表示。

それが譲にはうれしい。

「いただきます、譲くん」

望美のバラ色に染まった頬。

「……はい、どうぞ」

応える譲の、とろけそうに甘い声。

二人の視線が重なり、微笑みが重なり、気持ちが重なる。

やがて……再び自然に唇が重なった。

やさしい、柔らかな触れあい。




大好きで大好きで大好きで。

燃え盛る想いは胸を焦がすほどに強いけれど。

こんな風に穏やかに緩やかに、お互いの気持ちを確かめあうのもいい。

春の日差しのようにうららかに。

雲間から射し込む光のように暖かに。




かけがえのない人をそっと抱きしめながら、今、ともにいられる幸せを二人は心の底から味わっていた。

あなたは私のただ一つの太陽。

どれほど深く激しく愛しているのか、それはきっと自分でも永遠に把握しきれないだろう。



“I’ll never know, dear, how much I love you…”







 

 
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