I wish

 

「これは…?」

物忌みの訪いを請う淡萌黄色の文に、いつもと違う文字が並んでいるのを見て、幸鷹は一瞬絶句した。

I wish your merry Christmas!

「……クリスマス……確かに、もうすぐ25日ですが……」

京でこの言葉がわかる唯一の人間に、ちょっとした悪戯心で花梨が書いたメッセージなのだろう。

しかし、幸鷹は文を見つめたまましばらく黙り込んでしまった。


* * *


「え?! ち、違いましたか! スペルとか?」

翌朝訪ねてきた幸鷹にいきなり英文の間違いを指摘されて、花梨は目を白黒させた。

「いえ、正しくは"I wish you a merry Christmas."となります。所有格のyourでなく、目的語のyouと不定冠詞のaが入るのです」

「す、すみません! いい加減なこと書いて!!」

花梨は真っ赤になってペコペコ頭を下げた。

思わず笑みを浮かべながら、幸鷹は言う。

「神子殿、私は謝っていただきたいわけではありませんよ。あなたからこんなメッセージをいただいて本当にうれしいのです。ただ…」

「ただ……?」

おそるおそる上目遣いにこちらを見る花梨に、にっこりと微笑んだ。

「もし、神子殿がお嫌でなければ、私のほうで多少英語のレッスンができるかと思いまして……」

一瞬の沈黙の後、花梨はのけぞって驚いた。

「え、えええ〜〜!? 幸鷹さんが英語を教えてくれるんですか?!」

「少しだけですよ。私もブランクが長いですから」

「で、でもヨーロッパ帰りですよね?! すごい! 何かすごい贅沢!」

間違ったまま覚えるのは花梨のためにならないだろうと考えての申し出だったが、予想以上の感激ぶりに幸鷹もうれしくなった。

こうして、今回の物忌みは英語レッスンにあてられることとなった。


* * *


「では、早速。I wish you a ...は結構いろいろな場面で使える表現なのですよ。記念日や季節のあいさつ……。I wish you a happy birthday.」

「お誕生日おめでとう! ですね」

「ええ。直訳は、あなたが幸せな誕生日を迎えますように、です」

「幸せを祈る言葉なんて、何だか素敵だなあ」

"I wish you a bright future."

「…未来?」

「あなたに輝かしい未来が開けますように」

「うふふ……You, too!」

"I'll never be happy without you."

「え…?」




「いえ…。では次に may で始まる表現を覚えましょうか。……私があちらにいたころには、スターウオーズという映画のキャッチフレーズが有名だったのですが。May the force be with you.」

「あ、聞いたことがあります! フォースが共にありますように…だったかな」

「そうですね。ホワイトクリスマスという歌でも、May your days be merry and bright...」

"And may all your Christmas will be white〜"

「惜しい! Christmasの後は beです。正確には Christmas's be white.」

「そっか、may の後はいつも原形なんですね」

「そのとおりです。May the peace soon return to our city.」

「平和が……京に戻ってくるように…?」




「はい。mayは祈りの表現です。wishも同様ですが、こちらは普通の文章の中で使う際には気をつけなければなりません」

「? どうしてですか?」

「叶わぬ願いを表すからです。I wish you would stay with me forever...これは、最初から叶うはずがない願いを表しています」

「……叶えたい願いはどう言うんですか?」

「hopeやwantを使います」

「I hope...ううん、I want to stay with you forever.ならいいんですか?」

「神子殿…」

「誰かの幸せを祈るのならいいけれど、願いは、やっぱり叶えないと駄目だと思います。だから私、wishは使いません」

"I wish I could..."

"You always have to hope! Don't wish!"




くすっと幸鷹が笑うのを見て、花梨は真っ赤になった。

「ま、また何か変なこと言っちゃいましたか?」

軽く首を左右に振ると、花梨の手を取り、瞳を見つめながら幸鷹は言う。

"You are my shining star. You always lead me to the place I should go."

はっきりとすべてがわかった訳ではないが、幸鷹の気持ちは伝わって来た。

「もしかして幸鷹さん……」

「はい?」

「英語のほうが素直に話せるんじゃないですか?」

「……私は普段そんなに屈折していますか?」

「そ、そうじゃなくて」

「いえ、多分神子殿のおっしゃるとおりでしょう」

もう一度花梨の手を取り、目を静かに閉じると、幸鷹は話し出した。




"How can I live with you together? Where should we go? What is the true happiness for both of us? We don't have the answer yet, but someday, not in the far future, we can find it. I hope we can. I truly want it."


「幸鷹さん…」

「一緒に…答えを探してくださいますか、神子殿」

目を開いて、幸鷹は問いかけた。

"Yes. Let's find it together. I want to stay with you...forever."

顔を真っ赤にしながら、必死で英語を紡ぐ花梨がたまらなく愛おしくて、気づくとそっと唇を重ねていた。

この京で、龍神の神子を相手にそんなことをするなど今まで考えもしなかったが、異国の言葉が二人をその瞬間、現代へと回帰させた。

当たり前に恋しい相手に、当たり前にキスをする。

舞散る雪を眺めながら、花梨と幸鷹は静かに寄り添った。