初めての「誕生日」 ( 1 / 2 )
「もうお寝みに……そうですよね」
「申し訳ございません。先ほどまでは頑張って起きておられたのですが、このところあかね様も多忙な日々をお送りですので、見るに見かねてご就寝をお勧めいたしました」
申し訳なさそうに言う女房に、鷹通はあわてて手を振った。
「いえ、むしろそのようにお気遣いいただくのはありがたいことです。神子…あかね殿が気に病まれないよう、私が立ち寄ったことは内密にしていただけますか」
「はい。承知いたしました」
鷹通は左大臣家の車寄せに戻り、邸に戻るよう従者に告げて、牛車に乗り込んだ。
深く長いため息が洩れる。
たいした距離ではないのだから、以前のように歩いて戻りたい。
が、龍神の神子の八葉として京を守り、その神子を妻とすることになった鷹通の身分は、以前とは大きく異なっていた。
殿上人の一人となり、優秀な働きぶりから次の除目でさらなる出世も囁かれている。
これまでは遠くから眺めていただけの、高位の貴族たちの人間関係の只中に放り込まれ、新しい役割と仕事にも追われ、目が回るほど忙しい日々が続いていた。
それでもあかねに比べれば……と、鷹通は自分に言い聞かせる。
あの日、神泉苑で腕の中に舞い降りてきた彼女は、天真や詩紋、蘭たちと別れて、一人この世界に残ることを選んでくれた。
左大臣家の養女となり、鷹通の妻となるために必要な教養を身につけようと、文字の書き方から必死で学んでいる。
住み慣れた藤姫の邸とは言え、毎日どれだけの心細さを抱えながら暮らしているだろうかと考えると、鷹通は胸を締め付けられる思いだった。
せめてなるべくそばにいて、彼女を支えたいのに、日々の忙しさはそれを許してくれない。
ようやく車を土御門に向けても、時間が遅すぎて今日のように会えないことも多い。
「神子殿……」
思わず呼び慣れた名をつぶやく。
明るく生き生きとした笑顔と澄んだ声と柔らかな髪……。
「会いたい…。あなたに触れて、抱きしめたい…」
虚しく空を掴んだ手をギュッと握り締めると、鷹通は牛車の揺れに身を任せた。
* * *
「あかね殿はお元気だから安心したまえ」
深い響きの声に顔を上げると、友雅が文机を覗き込んでいた。
気づけば太陽は傾き始め、庁内の人影もすっかり少なくなっている。
友雅が鷹通のもとにやってくるのは、大体この時分だった。
「友雅殿。あかね殿に会われたのですか?」
「会う……というより通っている……というべきかな。このところ毎日花の顔(かんばせ)を拝んでいるよ」
「……!」
いきなり表情を硬くした鷹通を、友雅は楽しそうに眺めた。
「何でも君はあちらにろくに顔を出していないそうじゃないか。このまま私が妻にもらい受けてもかまわないかな」
「友雅殿!」
勢いよく立ち上がった鷹通の肩を、友雅は蝙蝠扇で軽く押し戻す。
「やれやれ。すぐに頭に血が上るところを見ると、かなり気に病んでいるようだね」
「それは……」
図星を突かれ、鷹通は頭を深く垂れた。
「私の……力不足なのです。すべての原因は」
「君に私の処世の術を教えたところで、参考になるとは思えないし……その壁は君自身で越えるしかあるまい」
「わかっております。ただ、その間、あかね殿に寂しい思いをさせてしまうのが心苦しく……」
拳を握り締める鷹通を、友雅は黙って見つめる。
「……ではこの約束だけは違えずに済むよう、全力を尽くしたまえ」
そう言って差し出されたのは、見覚えのある文箱だった。
「……これは…?」
「あかね殿からだよ。今日の私の役目は文使いでね」
「! ならば初めからそうおっしゃってくださればいいものを」
「近衛府からわざわざ足を運んだんだ。多少は楽しませてもらわないとね」
友雅は片目を優雅につぶると、背を向けて去っていった。
長身が回廊に消えるのを見送った後、鷹通は文箱の紐を解く。
侍従の香を薫きしめた淡萌黄色の紙には、まだたどたどしくはあるものの、格段の進歩を遂げたあかねの文字が記されていた。
「……22日……ですか」
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